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ドラマや映画を見ているとき
私たちは、その物語の渦中にいる登場人物達よりも
かなり多くの情報を得ています。
どんなにややこしいどんでん返しのサスペンスでも
その物語の主人公よりはずっと
多くのシーンを見、バックグラウンドに詳しくなっています。
私たちは、スクリーンやモニターの前で
彼らから見ればまるで、神のような位置から
ものを見ているからです。
現実の生活の中では
私たちは、物語の登場人物達と同じです。
非常に部分的な、偏った情報しか持っていません。
それだけをたよりに、
なんとか、迷路の向こう側に出ようとします。
ドラマなら、最終回まで行けば
なんとか出口が見つかっているはずですが
私たちの人生では
どこに出口があるのかも、
また、出口があるのかないのかさえも、
わかってはいません。
何かを探り出そうとするときは
たいてい、視野とか、音とか、
何らかの条件が不足しています。
全体を見渡すには、
情報が足りなさすぎるのです。
いつもなにかが見えていなくて
その「見えない部分」をどうすればよいか解らずに
あれこれ想像したり、
決めつけてしまったり、
時に、こっそり占ってみたりしてしまいます。
そんなときでも
「一切の情報がない」
わけではないのです。
部分的にでも、わずかにでも、
多少は、見聞きできている部分があります。
そういうとき、私たちは
「もっとたくさんの情報がありさえすれば、
この迷路から出られるのに!」
と考え、
手の中の情報には軽く一瞥をくれただけで
まだ見えていない情報を得ようと、
遠い場所や闇の中に、必死に手を伸ばします。
そうした努力が役に立つ場面もおおいにあるわけですが
そうではない場合も、多々あります。
「情報が足りない」ことばかり考えてしまい
「もっと情報を!」となってしまうと、
既に手の中にある情報について、
見ているようで見ていない状態に陥りやすいのです。
解っていることだけでも、
それらを十分に噛み砕き、吟味し、消化すれば
全ての情報を得ている人と同じように
出口にたどり着けたりすることもあるわけです。
ただ、この
「目の前にあることをとにかく、真剣に丁寧に噛み砕く」
ことは、かなり難しいことです。
周囲から見れば怠けているように見えたりしますし
自分自身も、
自分が立ち止まってしまっているように感じられます。
手っ取り早く答えが知りたい、と気持ちばかり焦り、
手の中にある、細かいパズルのピースを云々することなど
まぬけな徒労のように感じられます。
タンパク質は、消化されるまではアミノ酸にはなりません。
私たちはしばしば、タンパク質を手に入れてちらりとそれを見て
「欲しいのはタンパク質じゃないんだ!アミノ酸なんだ!アミノ酸はどこだ!」
と、タンパク質をそっちのけにする
というのに似た行動をとることがあります。
しっかり噛み砕いてお腹に落とせば
素晴らしい宝物が山盛りになるのに
口に入れてみることもなく、見た目だけで
「これじゃない」
と判断して
「早くアミノ酸を!」
と走り回っているような状態に陥ることがあります。
本当に欲しいものは
それそのものの姿で現れるのではなく
自分とそれとが関わり合ったところに初めて
ぽろん
と、できあがるものだったりします。
この「関わり合い」には
顎を時間をかけて懸命に動かすような、
そんな労力が必要になります。
この労力を惜しむばかりに
噛む力を失っている人も、最近は多いようです。
2012年、牡羊座の世界では、
この「目の前にあることを噛み砕く」という作業が
とても重要になります。
というのも、どこかに白黒の答えがハッキリ用意されているような
そんな世界は、2012年はあまり縁がないからです。
自分にとってだけ意味のあること
自分と相手の間だけに成り立つある種のバランス
自分から見て、価値が在ると思えること
自分と世界の接点
などにスポットライトが当たっています。
まず、複雑怪奇な、
他人と似ているようで完全一致する存在は一人もいない「自分」というものがあって
それと、世界の結びつく点をひとつひとつみつけては、
丁寧に咀嚼し、お互いの境目を消していくような作業が進んでいくのです。
「ここにはない、できあがったパーツ」を探しに行くのは
胸に描いた理想や、予想された答えから
ブレイクダウンされたパーツを想定しているからです。
こうした理想や予想には、
ある種の「ウソ」が潜んでいます。フィクションなのです。
2012年の牡羊座は、徹底的にダイナミックな、
抜き差しならない「リアル」の世界につっこんで行きます。
ここでは、理想や予想はほとんどアテには出来ず
ただ目の前のリアリティを噛み砕き、
それを再構築する、粘り強い作業が問われていくのです。
「今ここにはない、なにごとか」を探す事にあまり意味がなく、
「目の前にある、リアル」にがっつり四つに組むことに意味がある
というと
なんとなく、味気ない夢のない世界が思い浮かぶかもしれません。
でも、大抵のドラマや映画は
そのストーリーの冒頭に提示された
「白か黒か」
を、どこか超越したエンディングにおちつくものではないでしょうか。
「この人はそれを、そんな風に受けとるんだ!」とか
「この人のわだかまりの原因は、そこにあったのか!」とか
実際に起こる、人間的なリアルの世界は
驚きと意外性に満ちています。