アーカイブ記事
たとえば。
あなたは今、長い長い階段を
時間をかけてずっと一人でのぼってきたところです。
もう数段先に、
目指していた場所が見えています。
このままのぼっていけば、そのまま
その場所にたどり着くでしょう。
これまで階段をのぼりながらずっと
心の中で、目指し続けていた場所です。
ここまでのぼってきてしまったら、もはや
「どう進めばいいか、わからない」
というようなことはありません。
少なくとも、その場所にたどり着いてしまうまでは
一本道です。
そんな場所まで来て、
あなたはふと、足を止めます。
上ばかり見ていた眼差しを、
背後や、足元にうつします。
これまでのぼりつづけてきた階段を下に見下ろし、
手の中や足元、背負ってきたカバンの中を
つぶさに見つめたい気持ちになるのです。
これは、感傷ではありません。
センチメンタルな「振り返り」ではありません。
上へ、上へとのぼりつづけるとき
私たちは多分、いくつかのことを
「見なく」なってしまうものなのかもしれません。
ごくわかりやすい例で言うなら
仕事や勉強に打ち込みすぎて身体を壊し、
結果を出す前に倒れてしまう
といったようなことです。
結果を出すためにもっとも大事な「体調」のことが
「上」しか見つめなかったために、
見えなくなってしまっていたわけです。
野菜には、アクの強いものや苦みのキツイものがあります。
果物には、皮や種を取り除かないと食べられないものや、
ちょっと食べにくい形をしたものなどがあります。
毒のあるもの、食べるところがちょこっとしかないもの、
カロリーが高すぎるもの、下ごしらえが大変なもの、
育てるにはコストがかかるものなど、
食べものとなる動植物には、
さまざまな「問題」を抱えたものがたくさんあります。
私たちは、そういう動植物を前にして
「おいしいところだけならいいのに」
「面倒くさいところは、いらないのに」
と思ってしまうこともあります。
でも、そうした「食べるには面倒くさいところ」こそが
おいしさや栄養の土台となっていて、
私たちは間接的に、その恩恵を受けている場合も、
多多あるのではないでしょうか。
人間の生き方や活動にもたぶん
そんなところがあるのではないかと思います。
「面倒なところは切り捨てて、いいところだけで生きたい」
という考え方こそが、
前述のたとえのように
「頑張りすぎて体調のことを忘れて、身体を壊す」
というような、
ごく解りやすいトラブルを引き起こします。
私たちの中には実際、
たくさんの「面倒なこと」が含まれています。
身体的な制約もその一つです。
どんなに寝ないで頑張りたくても
眠らないでは機能しない「限界」があるわけです。
これは、調理しなければ外せないアクにも似ています。
人間にとっての「アク」や「毒」には、
身体的な条件だけでなく、さまざまなものがあります。
考え方や感じ方、価値観なども
場合によっては「面倒なこと」となりえます。
ですがもともと、「アク」や「毒」は
その植物を守る働きをしていたのです。
フグの毒も、フグ自身を守るためのものであって
その毒がなければ、釣り上げられる前にそもそも、
死んでしまっていたかもしれないのです。
2016年は、星座を問わず、
9月に大きな「扉」の置かれた年です。
牡羊座の人にとって、2016年9月までの時間は、
上記のような
「もう少しで頂点にたどりつく、その手前で
今まで見落としていたものや無視してきたものに対し
ごく現実的で、ある意味『ベタ』な取り組みをする」
ような時期に当たっていると思います。
華やかなものを目指せば目指すほど
小さな、日常的な、泥くさい作業が必要になるのです。
大きな舞台に立てるチャンスが近づいてくるほど、
単純作業や細かい部分への目配り、
自分の弱点への眼差しとか、
「生活」に手をかけることなどが重要さを増すのです。
すばらしい芸術を生み出す人や
世界をあっと言わせる結果を出すアスリートは
しばしば、とてもこまかいことを考えています。
小さな努力を積み重ね、細部にこだわります。
そして、そのこだわりも、
結果に照らしあわせて、どんどん変化させていきます。
煌びやかな衣装と、人を涙させるような感動的な歌唱の裏側に
のど飴とか、シップなどがあるということは
観客の目には見えません。
でも、その隠されたところにある、
ある意味「ベタ」な、余り格好良くないけれどもとてもリアルな部分こそが
世の中のニーズに応える力をかたちづくっているわけです。
これらは、前述の「アク」「毒」などとどう関わるか、
ということに通じます。
「自分が自分である」ということと、
ベタに、リアルに向き合う姿勢があってこそ
実現できる夢があるのです。
「自分が自分である」ということは、
部分的に切り離すことなど、できません。
フグは、毒の部分も、フグです。
フグを食べるときには、毒の部分は切り捨てますが
人間は、ある部分だけ切り捨ててしまう、
というわけにはいきません。
もちろん、外科手術のような場では
そのようなことも起こりますが、
私たちは自分から何かを切り離したときでさえ
それを「切り離した」という現実を
消化して、自分の中に取り込んでしまう作業をしなければなりません。
2016年、牡羊座の人は、
自分のなかにあって切り離しがたい自分自身を、
新しい形で「自分のものにする」ことになるだろうと思います。
あるいは、大きな成功を目前にして、
その前にどうしてもやっておかなければならない、
ごくベタでリアルな作業に取り組むのかもしれません。
素晴らしいルールを取り決めても、
それが心の現実にフィットしていなければ
ルール自体を見直さなければならない場合もあります。
私たちが頭で考えたことがすべて、
「心」のほうまで了承してくれるとは限りません。
たぶん、「現実ととりくむ」ということは
頭で考えたことと、心が了解することとの
その交わる場所を模索することを意味するのかもしれません。
2016年9月を境に、牡羊座の人の多くが、
長らく目指していた「頂点」に立つために、
ぽんと「世に出る」ような経験をすることになるだろうと思います。
「振り返り」のプロセスを終えて、
今度は、元通り、もう少しで到達できるその目的地を
まっすぐに目指して進んでいけます。
目的地に近づくほどに、
人生に深く関わってくれる、大事な人物に出会う機会も増えるでしょう。
そのとき、9月までの、
あの、ベタでリアルな取り組みの「真価」が表れます。
前述のたとえで言うならば、
のど飴とシップの置かれた控え室を出て、
舞台に向かって歩き出すようなシフトが起こるのが、
この9月なのです。