アーカイブ記事
「統べる」。
2018年の牡羊座をめぐる星の動きを眺めていて
まず思い浮かんだのがこの言葉です。
日常的には
「統率」「統一」「統括」
などのような形でよく用いられます。
「統」には、
まとめあげる、おさめる、つながる
などの意味があります。
この「統」という文字は、
より糸を表す糸偏と、
肥った人、あるいは人が育つということからくる
「充ちる」という部首からできています。
たくさんの糸をより合わせて一本の糸を作る、
という文字なのです。
「統べる」という言い方は、
「一国を統べる」のように用います。
たとえば、日常的に
お店を開いたり家庭を持ったりしたときに
「これで一国一城の主となった」
などという言い方をします。
いろいろな人がいて、
色々な条件があって、
成長があって、変化があって、
それらひとつひとつの細い糸を、
全体として一本により合わせてゆく。
私たちは生活の中で、
ささやかでも結構色々なものを
自らの手で「統べて」いるのかもしれません。
チームや仲間、家族などをまとめることも
「統べる」ことですし、
自分個人に関しても、もしかすると
人生を統べる
自らを統べる
などと言うことができるようにも思われます。
というのも、私たちは
「自分で思うように自分を動かせているか」というと
決してそうではないからです。
自分の中にたくさんの、バラバラの自分がいて
それらを統率し、とりまとめて、なんとか
「一人の自分」としてのあり方を作っています。
思ってもいないことをなぜかうっかり口に出してしまって
後で謝りにいったり、
衝動買いした物に全く興味が持てなくなったり、
考えがまとまらなくて立ち往生したり、
といったことが起こるのは、
自分の中に何人も自分がいて
そのまとまりがなかなか、保てないからなのかもしれません。
意見も価値観もバックグラウンドも違う国民達を治める王様のように、
私たちもまた、
自分自身を、自分の生活を、
なんとかひとつにまとめていこうとして
日々、四苦八苦しているところがないでしょうか。
2018年、牡羊座の人々は、
様々な場を「統べる」ことになると思います。
文字通り、組織や集団を統率する立場に立つ人もいるでしょう。
これまでよりも重い権力と責任を引き受けて、
人のために敢えて「上に立つ」ことになるかもしれません。
あるいは、例えば子供や家族を持つことも
「統べる」ことに繋がります。
決して思い通りにならない人々の生活を
何とか一つの集団としてまとめていこう、という営為は
どんなに小さくても
たとえ2人だけの世界であっても、
簡単なことではありません。
最高の選手だけを集めて作ったチームが
ひとりひとりはそうでもないようなチームに
負けてしまうことがあります。
統べる、統率する、ということは
全体の力を強めると同時に
一人一人の構成員から新しい力を引き出すことにも繋がります。
非常に力を持った人々を
その力を活かせるように、導くことになるかもしれません。
あるいは、誰かの持っている宝物を
その価値が真に生きるように、
マネジメントすることになるのかもしれません。
自分一人の力をどう活かすか、ではなく
人々の力をどう引っ張り出し、まとめあげ、
もっと大きな力に作り替えていくか、ということが
あなたの大勝負として
目の前に据え置かれるのかもしれません。
さらに。
自分自身の中にあるものを「統べる」ことも
とても大きなテーマです。
一つの世界があれば、そこにはかならず、
光と影の両方が存在します。
自分の内なる世界であっても、
完全に善いもの、清らかなものだけで作ることは
おそらく、だれにとっても不可能であるはずです。
この世の中で、
一般に望ましくないとされるギャンブルや飲酒などが
ある程度は許容されているように、
自分自身の中でも
「望ましくはないが、許されなければならないこと」
が存在します。
悪いものをただ押さえ込み、消し去ればいい、
ということでは、「統治」は立ち行かないはずです。
私たちの内側には様々な欲望があって
その欲望からは、外の世界に向かって
多くの手が伸びていきます。
欲望の手に自分自身が飲み込まれてしまうと
だれの幸福にも結びつきません。
でも、欲望が全て抑え込まれたなら
私たちは命そのものを失ってしまいます。
爆発的な欲望は「情熱」と呼ばれることもあります。
あるお店の経営者が、
「立ち上げの大変な時期を越えて、
やっと商売が軌道に乗って、安心してきた頃、
なぜかよく人が辞めるようになった。
その理由を考えてみたら、
経営者である自分が満足しきってしまい、
情熱を失ったからではないか、と気づいた」
という話をしていました。
人を導いていく欲望=情熱、というものもあります。
人の命を飲み込むのもの炎ですが
人を温め、照らし、導くのもまた、炎なのでしょう。
情熱=欲望という炎をどのように「統べる」か、
それは、生きることそのものなのかもしれません。
欲望には「外側からしみこんでくるもの」もあります。
たとえば、人を統率する立場に立って、
最初は純粋に「みんなのために!」と献身していたのが
徐々に、人から推戴されることや
人が従ってくれることが気持ちよくなってきて
最終的に、その快感に「飲み込まれる」
といった現象も起こります。
でも、本人が
「人から見上げられる快感に飲み込まれた」
と自覚しているかというと
そうでもないのが、厄介なところです。
私たちは、内外の欲望に活かされながら、
それに飲み込まれるかもしれない危険に、
常にさらされています。
欲望をあくまで生きていくエネルギーとして使い、
けっしてそれに溺れきらずにいるためには、
どうすべきか。
自分のなかにある善い糸も悪い糸も上手くより合わせて
全体として強く太い糸にまとめあげていくには、
どうしたらいいのか。
2018年の牡羊座の人々は
この難しい問いに、
あくまで自分らしい答えを出していけるのだろうと思うのです。
人を集めてマネジメントする立場や、
国民を治め、臣下を使う王様は、
人の力を引き出し、
人の力を使います。
これが、引き出され使われたその人達の幸福に繋がっていれば
これは、のぞましい統治といえるでしょう。
人の力を引き出してまとめ、使うには、
「なんのためにそうするのか」という意志と、
人に対する絶え間ない働きかけが必要になります。
2018年の牡羊座の人々は、
ある強い意志をもって、
人にたえまなく働きかけてゆくことになるでしょう。
そのことによって、相手に大きな影響を与えると同時に
自分自身もまた、変えられてゆくのだろうと思います。
昨今では「SNS疲れ」ということが言われます。
最初に写真を投稿して、
「いいね!」と評価されたとき、
そこには、純粋な喜びが生まれます。
更にその喜びを得たいと、投稿を重ねるうち、
次第に「嫌われたくない」という恐怖と、
「好かれて嬉しい」という快感とが
自分を支配していきます。
つまりこれは「統べる」ことに失敗した、
ということになります。
自分の心という一つの国を治めることができず、
何か他の力に乗っ取られてしまったようなものです。
恐怖と、快感。
こう書くと何か怖ろしいことのようですが
ダイエットや貯金など、
私たちは日常的に、
恐怖と快感の間でゆれ動いている生き物ではないでしょうか。
2018年は、何が本当に守るべきものなのか、
何が最も心地良いことなのかを、
とことん追求していけます。
これは単に「バランスよく生きる」といったようなことではないようです。
むしろ、ある種のバランスを崩したところに
あなたの新しい「統治形態」が生まれるのかもしれません。
あるいは、今まで否定し続けて来たがゆえに
全体として上手く行かなかった部分を
あらためて救い上げ、肯定し、
自分の一部として認めることができるのかもしれません。
過剰さや激しさも、一つの力だとして
その力を抑え込むのではなく
あくまで「統べる」ことが求められるのだろうと思うのです。