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たとえば牛が緑の牧場で
ゆったりと草を食んでいたら、
それは、とても美しい風景に見えます。
一方、牛が東京のど真ん中で、
アスファルトを蹴って走っていたら
それは衝撃的な光景です。
みんながスマホを向けて
「なにがあったんだ!」
と、SNSに投稿するでしょう。
でも、1200年前なら、
都会のど真ん中の都大路に
牛が歩いているのは普通の光景です。
牛車が交通手段だったからです。
水瓶座の2021年は、
とにかく大きなターニングポイントです。
人生の節目となるような出来事が
おそらく、いくつか起こるでしょう。
人生でそうしょっちゅう起こらないようなこと、
たとえば引越や転職や独立や結婚や出産や、
「特別な出会い」や家族を得ることや、
立場の変化、生き方の変更など、
あらゆる「重要な出来事」が、
起こっておかしくない年なのです。
そうした大きな変化は、
「住む世界の変化」
として体験されます。
たとえば転職する際、
「新天地でのご活躍を」
というフレーズがよく使われます。
「場所」が変わることと、
自分の生き方や人生が変わることは、
不可分です。
もっと言えば、冒頭の「牛」のように、
「どこにいるか」と
「自分が何ものであるか」
というアイデンティティとは、
分かちがたく結びついています。
どこにいようが牛は牛なのですが、
どこにいるかによって、
その牛の生きている意味が変わるのです。
牧場の牛や、平安時代の都大路の牛なら
それは「なんの牛か」がわかります。
「意味」がわかるのです。
だから、意外性はありません。
一方、
現代の都会のアスファルトの上の牛は、
「意味が分からない」のです。
もちろん、イベント会場から抜けだしたとか、
様々な事情があとでわかるでしょう。
でも、基本的に
「現代社会の都会」と「牛」には、
直接そこにいる関係性が存在しません。
ゆえに、それは驚きであり、
排除されなければならないのです。
人生の中では時折、
そんなことも起こります。
たとえば就職に失敗したり、失恋したり、
いじめられたりしたとき、
私たちは深く傷つき、
「自分が生きる意味とはなんだろう」
と考えます。
自分を取り巻く世界との関係が断ち切られ、
「意味がわからない」状態になるのです。
まるで、都会の真ん中で
放り出された牛のような気持ちになるのです。
2021年という
「人生のターニングポイント」では、
ただ自分だけが変わるのではなく、
自分を包む世界のまるごとが変わる、
という体験が起こります。
新しい世界と自分との間に、
新しい関係が生まれ、
新しい意味が生まれます。
「自分」というものへの認識が変わり、
動き方も、考え方も変わるでしょう。
自分が変われば、
世界が変わったように見えますし、
自分を包む世界が変われば、
自分自身も、
変わらざるを得ないはずなのです。
たとえばもし、あなたがこのところ、
「生きる意味」を見失っていたなら、
新しい世界との出会いが、
その状況を変えてくれるかもしれません。
新たな世界と自分との関係から
新しい「意味」が生まれるのです。
2021年という年は、そんなふうに
「世界と自分のまるごとで変わる」
という動きが、
非常にダイナミックに起こる時間です。