魚座の今年の占い

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人はなぜ、旅に出るのでしょうか。
私は多分、自分を知るためじゃないかと思うのです。
自分を知る、ということは
ものすごく難しいことです。
ひとりぼっちで、誰とも話さずにいるときは
自分が世界中で一番公平で、一番正しいような気がします。
人と話し合ってみて初めて
自分の偏りやクセ、個性に気づかされます。
旅先でであうものは全て
「他者」
です。
他者に出会ったとき、自分と他者の違いに驚かされ
そこで、お互いの違い、イコール、自分のアウトラインに気づかされるのです。

「違い」で自分を知ることもあれば
「一致」「相似」で自分を知ることもあります。
年末年始、一族で集まると
何となく同じ価値観で語り合ったり
顔や体型が似たもの同士が集まることで
「ああ、自分はこの一族の一員なんだなあ」とか
「ああ、自分のルーツはここあるんだなあ」などと感じることがあります。
あるいは、生まれ育った場所や家庭とは違っていても
今の自分の土台となるような、
身近な家族や大切な人たちとのあいだで
「自分たちは似たもの同士だなあ」
と感じる事もあると思うのです。
長い、アタリマエの時間の、淡々とした積み重ねが
後天的に「自分のルーツ」となっていくこともあるわけです。

他人との違い、
他人と似ている部分。
これを集めて
「自分とはこんな感じ」
というぼんやりした像が
私たちの頭の中には、なんとなく結ばれていて
それを、自分の個性だと感じているのだと思います。

「自分を知る」とは、
自分のルーツを知ることでもあり、
他者との違いを知ることでもあります。
さらにもうひとつ、
もう少しスケールの大きい尺度の「知る」行為もある気がします。
ともかく、いろいろなレイヤーをあつめて
私たちは自分自身というイメージをつくり上げているわけです。
まず、野菜と果物の区別があります。
リンゴは桃や梨や柿と区別することで「リンゴ」と認識できます。
リンゴでも、ふじリンゴと王林ではまた別です。
私たちも、自分が他の動物と区別することで人間だと認識し、
他の地域に住む人たちとは別の特徴を持つアジア人であり、
アジア人でも更に細かい地域によって特徴が違っていて
その中では日本人であり、
さらに、九州と東北では文化が異なり…と、
たくさんのレイヤで自分を定義して、
その中で「他ならぬ自分」だというふうに感じています。
この「違い」を知るために
旅に出たり、時に「原点に返る」という意味で故郷に戻ったりします。

2012年の魚座の世界では
「自分を知る」作業が、多方面に展開し、急ピッチで進みます。
さらに、知るだけでなく、
知り得た自分を最大限に生きようとするスイッチが入るのです。
これは、小さく自分の世界に縮こまる行為ではなく、
外の世界に打ってでるために自分のコアを固め、
その上で、遠い世界に出て行く、ということなのだと思うのです。
旅に出る目的は、旅先にあるのではなく
自分の心の中にあります。
旅先で役に立つ武器は、
最終的には、自分と彼らの「差」の方なのかもしれません。

外に向かって広がっていく自分と、
広がれば広がるほど、濃く固まって、深化していく個性。
2つの動きは、ピンポンのラリーのように、
互いに刺激を与えあいながら、大きな森のように発展していきます。
自分は、この天地においてなにものなのか
ということを、
ファンタジーではなく、
現実の世界の中に、確かな手応えをもとに掴み出す作業が
忙しく進んで行く年が2012年です。
未知の世界に向かうことでもそれが見つかりますし、
自分の居場所を造り出す作業の過程でも
それを発見し続けていけます。


未知の世界と古今のルーツに向かって
「自分」を掘り起こしに出かけるような作業は、
あなたの世界に流入する強い動機に基づいて始まるのかもしれません。
2012年というのは、勿論どの星座にとっても、他の年同様に大事な年ですが
特に、魚座の世界にとっては
特別な意味を持っています。
海王星という、「魚座の王様」が
母国である魚座に帰還するのです。
本当に似合う服は何か
本当に語るべき言葉は何なのか
何かを選択するとき、その根拠とする価値観はどんなものか
自分の「生き方」とは、何でできているのか。
むきだしに純粋なそれらの問いと答えが
同時に、あなたの世界にひたひたと満ちてくるような年なのです。
この力が動機となって、
前述の、旅や帰京というイベントが発生するのかもしれません。
これはもちろん、一つの比喩です。
でも、物理的に転居や長旅を選ぶ人もいると思うのです。
それを選んだときにも、
目標となる大きな星は、あなたの心の中央に輝いているはずです。