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「おはようございます」と言えば
「おはようございます」と返されます。
「よろしくお願いします」とか
「お邪魔します」「お世話になります」など、
私たちは他者と相対したとき、
あらかじめ取り決められた言葉でコミュニケーションします。
挨拶言葉や礼儀、マナーなどは、
人と人との関わりがスムーズに行くように私たちを守る、
言わば、おまんじゅうの皮のようなものです。
餡を素手で掴んだら、
指がべとべとしますし、形も定まらず、
大変食べにくい状態になります。
その餡が薄いおまんじゅうの皮で包まれていることにより、
扱いやすく、食べやすくなるわけです。
あまりにもあんこが盛りだくさんだと
おまんじゅうをそっと掴んだつもりでも、
予期せぬ横っ腹からナカミが「にゅっ」とはみ出てきます。
「はち切れんばかりに元気」
「溢れんばかりの愛情」
「こぼれる笑顔」等々、
本来「中」に納まっているはずのものが
ボリュームがありすぎて外側へ漏れ出てしまった
というイメージの表現は多々、あります。
コミュニケーションにおける定型の挨拶や礼儀、マナーが
「おまんじゅうの皮」だとするなら、
「中のあんこ」は、一体、何に当たるでしょうか。
おまんじゅうにあんこがなければ
(甘いものがお嫌いな向きは、
肉まんやシュウマイ、サンドイッチなどをイメージして頂ければと思います)
甚だ、味気ないものとなります。
中にしっかり味のついた美味しいものが詰まっていてこそ、
皮も、ただ掴みやすくするだけでなく
全体の味を引き立てる要素となりうるわけです。
そのままでは掴みにくいけれど、
それが無ければ全体が意味を失うようなもの。
たとえば、
私たちの個性とか、創造性とか、情熱とか、欲望とか、
喜怒哀楽や好き嫌い、愛や本音、攻撃性や官能などが
おまんじゅうのナカミに相当するのではないでしょうか。
私たちの内側には、そのままでは人に見せられないような
激しいエネルギーが渦を巻いています。
それがいつも「そのまま」で外に出ていたら
ちょっと厄介なことになりそうです。
でも、そうした感情や熱情、エネルギーを生きるのでなければ
私たちの人生は、スカスカに空疎なものとなってしまいます。
2015年、牡牛座の人々はおそらく、
「おまんじゅうの皮」の世界から、
「おまんじゅうのナカミ」の世界へと
生活の軸足をシフトしていきます。
2012年頃から、牡牛座の人々は
さまざまに「他者」と出会い、
コミュニティやネットワークをつむぎ続けて来たと思うのです。
初対面から何度もやりとりを積み重ね、
いろいろな人がいる場所を作る作業が、
2012年頃からずっと、あなたの生活の中心的なテーマでした。
その中には、バックグラウンドや価値観の異なる相手もいたはずです。
年齢、歴史、常識、文化のあらゆる差を超えて関わるためには
どうしても「おまんじゅうの皮」である、
定型文の挨拶や礼儀、型どおりの表現が必要になります。
もっといえば、そうした「型」を習い覚えること自体が、
一つの重要なコミュニケーションとなっただろうと思うのです。
2015年は、そうした型を踏まえた上で、
あえてその内側にある「餡」を外側に出して行くことになります。
これは、
むにっと掴んだおまんじゅうの横腹から餡がはみ出る
ということなのかもしれませんし、
あるいは、
活動の場が、あんこが出てこなければならない口の中に移動する
ということなのかもしれません。
いずれにせよ、ここからは
型枠の外側に出て、何らかの「ナカミ」を出していくことが
どうしても必要になってくるのだろうと思うのです。
おまんじゅうの「皮」の世界では、
相談があり、調整があり、取引があり、
ルールがあり、取り決めがあります。
一方、おまんじゅうの「餡」のほうは、
欲望や、強引さや、情熱や、自分の都合や、積極性や、
要求や、愛や、創造の世界です。
クリエイティビティを「調整」したり、
強引さを「相談」したりするというのは、ナンセンスです。
これは、
2015年の牡牛座の世界が無法地帯になる、
ということではありません。
そうではなく、
これまでの「型」に乗っ取った爽やかな世界という土台があるからこそ、
もっと濃い内容を打ち出していける自由度が高まる
ということなのだと思います。
時間はブツブツちぎれてはいません。
過去があるからこそ、現在があって、
それが未来に繋がっていきます。
丈夫ないれものがあれば、そこに膨大な水を注ぎ入れられます。
しっかりしたかまどがあれば、火事を起こさずに強い火力を操れます。
2012年頃からあなたが続けて来た努力は、
言わば、あなたの情熱を燃やせるかまど作りのようなものでした。
この「かまど」は、あなた一人の部屋にあるようなものではなく、
人との関わりによってできた「かまど」です。
この丈夫なかまどの中で、これから、
ハデにあなたの炎を燃やすことができるというわけです。
過去二年ほど、人間関係において
ストレスやプレッシャーを感じていた人は、
2015年を境に、その「修行」から解放されるでしょう。
人に対する緊張感や警戒心、疑念が薄れていきますし、
過去二年で培われた「人を見る目」により、
もっと安心して人と関われるようになっていくはずです。
とはいえ、6月から9月にかけては、
2014年までに経験したことの
「復習」のような作業が発生するかもしれません。
人を受け止めること、自分を委ねること、
待つこと、見守ること、理解力、浸透力。
人との関わりは、一朝一夕に深めることはできません。
時間をかけて何度も出会い、言葉を重ね、
いろいろな面に触れることで、
かけがえのない関わりが出来上がっていきます。
2015年の夏は、今まであなたがそうした努力を重ねて作った関わりを、
「数え上げる」ことができるような時間帯となる可能性もあります。
2015年前半までに新しく始めたことを
2015年中程からは、「根付かせていく」時間帯に入る
というイメージもあります。
2011年から2012年ごろをスタートラインとして、
2015年前半まで、という時間帯は、
牡牛座の人にとって
「自分自身」と「自分のおかれている場」が大転換するような、
とてもドラマティックな「始まりの時」だったのです。
「起承転結」でいえば「起」のような時期と言ってもいいと思います。
この「起」の時間帯が、
「承」へとガツンとシフトするのが、2015年です。
起ち上げたことを、受け入れてもらえる時期
とも言えますし、
自ら引き起こした様々なことを、
自分の世界にしっかり位置づけ、安定させていく時期
とも言えるかもしれません。
私たちは、ドラマティックな出来事や大きな変化の後で、
その出来事の印象や意味づけを、
食べもののように咀嚼し消化しなければならない生き物です。
時には、何度も同じことを考え続けたり、
ある事をずっとくり返し積み重ねたりすることもあります。
大きな出来事の持っている意味がわかったり、
変容をしっかりした生活へと結びつけたりしていけます。
この時期は、目の前で起こっている出来事も、
確かに重要ではあるのですが
もっと大事なことは、もしかすると
あなたの心の中で起こっている変容なのかもしれません。
これまでに起こった出来事を意味づけ、確かめるほどに、
生活や活動における「自由度」は高まっていきます。
それは、新しく手に入れた乗り物を
身体の一部として乗りこなしていくようなプロセスです。
変化が心の中に入り、自分自身と一体化するとき、
バラバラに見えた出来事が、
人生という一つの物語へと統合されていきます。