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2011年の双子座年報に、
私は「夢」というキーワードを書きました。
夢は、心の中に醸成されるものです。
目を閉じたときにこそ鮮やかに浮かび上がる、
陰と陽ならどちらかというと陰、
闇の世界に輝くオーロラです。
深い海底にも
深い眠りの底にも、
躍動や、熱や、生命力があります。
まだ来ぬ未来を胸の中に描く10代の若者は
初々しい力に漲り、かつ
「何もなしえぬ者」ではありません。
まだ形にならぬながら
そこで体験したことは全て
20代、30代、40代の活動の中に脈々と受け継がれ、
土台とも可能性の源ともなります。
2011年の双子座の世界では
そうした活動が行われていたように思います。
生命力に漲っているとはいえ
その場所は寝室であったり
あるいは、水を打ったような沈黙の図書館であったり、
教会の告解室であったり
密かに自分だけの心を慰撫することができる、
自室であったりしたのではないかと思います。
外に出て生き生きと活躍しつつも、
その心や意識の中心は
そうした、少し隠れた場所に位置していて
そこで生気を蓄えたり、叡智を練り上げたりする作業を
人知れず続けていたのではないかと思うのです。
もとより、そうした真実な思いによる営為は
人前で行ったり、ましてや見せびらかしたり評価されたりすることは
ありえないからです。
大切なものほど、人は自分の世界の奥に隠します。
あなたの世界における「自分だけの場所」の奥の奥で
静かに、盛大に進められていた作業があったのだろうと思うのです。
2012年は、そんな小暗くも清浄な場所から
外に出て行く年に当たっています。
おそらく、過去との話し合いが決着したり、
自分なりに自分の強さに納得が出来たりした結果、
水底に沈み込んで何かを見いだす作業から、
小高い日の指す丘に登っていく作業へと
転身する準備が出来る、ということなのだと思います。
2011年からの深く濃い、ある限定した範囲で行われる作業は
2012年の夏から秋に完了します。
そして、2012年の夏、
内なるものをあかあかと外に表現して行く作業が
夏の太陽に照らされるような輝かしさで
スタートするだろうと思うのです。
約12年に一度、自分の星座に巡ってくる星が「木星」です。
夜空に大きく輝くこの星は、古くから「幸運の星」とされており、
この星が巡って来る年は、
多くの人が自身にたくさんの幸が訪れることを期待します。
でも、実際に起こる事は
後から振り返って
「あのときはほんとに大変だった、どうなることかと思った!」
と、安堵と驚きの入り交じったため息をつくような、
そんな時期となることが多いようです。
この、定義と実感とのズレは、
おそらく木星の象徴する「幸運」の解釈に問題があるからではないかと思われます。
12年前にも、私は同じようなことを書いたと思うのですが
星が巡るようにここで繰り返します。
2012年の6月にあなたの星座に巡り来て、
その後、2013年の半ばまで滞在する木星は、幸運の星であると同時に、
「拡大と成長」の星です。
木星の象徴する「幸運」は、
決して、宝くじが当たったり白馬に乗った王子様がいきなり現れたりするような
「棚からぼた餅」式の、刹那的なラクチンラッキーではないのです。
例えば「運が良かったから、この人から愛された」なんて
それは「幸福」でしょうか。
「運良く、実入りのイイ仕事に当たり、ラクして暮らせる」のは
幸運でしょうか。
思うに、人が本当に「幸せだ」と安心して感じる時、
その人は、その幸せを「運が良かったからだ」とは
思わないようなのです。
本当に「ああ、自分は幸せだな」と感じる人は
無意識に、少なからずぞの幸せの理由を
自分の努力に置いています。
「全て自分の努力の賜だ」とは、もちろん思わないでしょうが、
自分の努力についてある程度の自負があるからこそ、
「ああ、運が良かった、幸せだ」と、安心の中に感じられるはずなのです。
完全に運がいいだけで、何の努力も苦労もしなかった、と思える場合、
その人は「こんな幸せ、すぐになくなってしまうのではないかしら」と考え、
不安になったりブルーになったりしてしまう傾向があるようなのです。
失敗もし、苦労もし、それを乗り越えた、とか
大変な波を受け止めきって成長し、ここまでたどり着いた、とか
そうした、自分として正当な根拠がある幸福こそ、
人が安心して受け取れる幸福なのかもしれません。
木星が贈ってくれる「幸運」は、
そうしたバックグラウンドまでひっくるめての「幸運」であり、
さらにいえば
この2012年から2013年という時間に限って幸せ
というような薄っぺらな幸運ではなく、
この2012年から、次に木星が訪れるまでの12年のあいだ、
ずっと楽しく育て続けることができる幸福の小さな苗を授けてくれる、
そんな幸運を象徴しているのだと思うのです。