双子座の今年の占い

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NHKのテレビ番組で
横尾忠則さんが、小学生に絵を教える
という企画があったそうです。
画家・横尾先生はまず、子どもたちに
「好きな絵」を一枚持ってくるように、と指示しました。
横尾先生は、子どもたちが持ってきた絵を
忠実に「模写」させました。
次に、今度は何も見ないで
記憶だけを元に、その絵をもう一度描かせました。
すると、子どもたちは
「絵に変更を加えたい」
と言いだしたのだそうです。
横尾先生はそれを承認し、奨励しました。
すると、子どもたちの絵はどんどん変化して
個性溢れるものになっていったのでした。

これは大変おもしろいことだな、と思いました。
「自由に、好きなように絵を描きなさい」
と言ったとき、
子どもたちはだれもが「似たような絵」を描いたのだそうです。
青い空、白い雲、緑の草原。
「自由に」描いた絵は、予想に反して
無個性的な、
まるで誰かに「こう描きなさい」と指示されたような絵だったのです。
一方、ある絵を「模写しなさい」と、
言わば「自由を制限」されたとき
そこで初めて、その子だけにしか思いつかないやり方が
ふと、出現したわけです。
制限がないときは自分を制限するけれど
制限がある時はむしろ、どこに自由があるかが、見えてくる。
これは、そういう現象なのかもしれません。

もっと言えば、これは
「コミュニケーション」の真髄
とも思えます。
コミュニケーション、と言えば、
「人と人とが上手く意思疎通すること」
をイメージする向きもあるでしょう。
でも、コミュニケーションとは、もしかすると
なによりも
「お互いの違いを確かめ合い、違いの中から自分を発見する」
ことなのではないかと思います。
互いに違っているのでなければ
そもそも、話し合う必要がありません。

子どもたちが「好きな絵」を横に置いて、
じっくり見つめながら忠実に模写したとき、
それはいわば
「相手の話を懸命に、全部聞こうとがんばっている」状態です。
そうやって、すべて相手の話を聞き終わった後
もう一度相手の話を心の中で反芻するように
「記憶を元に、絵を再現」しようとしました。
すると今度は、
「自分からも言いたいこと」が出てきたのです。
これが「コミュニケーション」でなくて、なんでしょうか。
子どもたちは、「好きな絵」と、
もっと言えばそれを描いた画家達と、
独自のコミュニケーションをしたのです。

ある対象に興味を持って、
それを「自分のもの」にしようとしたとき、
自分と対象との違いを見つけて
そこではじめて、新しいものが生まれます。
これはたとえば
恋愛や子どもを育てることなどにも通じるかもしれません。
自分以外のものと深く関わるとき、
その最初の一歩は
まるで「好きな絵を忠実に模写する」かのように、
対象から受け取る刺激に対して無防備になります。
でも、そのうちに
対象と自分のあいだにあるなにごとかが見えてきて
「絵に変更を加えたくなった」子どもたちのように
「自分」の個性が自由に解放されていくならば、
それこそが愛の体験であり、創造の体験といえるでしょう。


2017年は、双子座の人々にとって
「愛と創造の季節」です。
愛や創造という言葉は、
とても自由で楽しそうな、
どこか「無制限」なイメージをはらんでいます。
「好きなもの」「やりたいこと」は
自分の中から生まれる衝動のベクトルです。
でも、2017年の双子座の「愛と創造」の世界には
横尾先生が子ども達に課したような
ちょっとした、賢い「制限」がもたらされるのではないかと思います。
なんの制約もなかったときには決して出てこなかった創造性が
そこで初めて、顔を出すわけです。
更に言えば、子どもたちにとって
「好きな絵を模写する」
ことは、それほど嫌なことではなかったろうと思います。
なにしろ「好きな絵」なのですし、
マネをすれば良いのですから、
あれこれ悩む必要もありません(上手く描けずに悩むことはあったかもしれませんが!)。
2017年の双子座の人々が引き受ける「制限」も、それに似て
別に嫌なことでも辛いことでもないはずです。
もとい、途中で余計な口をはさんだり、あれこれ考えたりせず
ひたすら
「人の話を全部全部『聞ききる』」
のは、辛いと感じる人もいるかもしれません。
それでも、「好きな話」なら、苦痛も少ないでしょう。
おそらく、こうした「制限」は、
2017年にはじめて降ってくるようなものではなく、
2011年頃からそれにずっと向き合い続けている人も
少なくないだろうと思います。
2017年は、もしかすると
横尾先生の指示した
「記憶に基づいて模写をする」段階
であり、
そこで初めて
「自分なりに付け足したいもの・色」が見えてくる
という人も、多いのかもしれないと思います。