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飢え疲れた老人に
自ら火の中に飛び込んで
肉を与えようとしたウサギの伝説があります。
能の「鉢木」では、
主人公の零落した武士が、
泊めた旅の僧に暖をとってもらうため、
大切にしている盆栽を火にくべます。
自分のいのちや、大切な宝を、
見知らぬ他者のために犠牲にする、
という物語は、
私たちの心を強く打ちます。
ウサギのケースでは、
老人は実は帝釈天であり、
ウサギはそのまま月に上げられて、
信仰の対象となりました。
「鉢木」では、
実は老僧は時の権力者・北条時頼であり、
主人公は後に素晴らしい報償を手にすることになります。
帝釈天や北条時頼には、
自分のために大きな犠牲を払った彼らに、
ちゃんと「おかえし」ができます。
ですがもし、
「世を忍ぶ仮の姿」ではなく、
彼らが本当に「見たまま」の存在だったなら
そんな「お返し」はできません。
特にウサギの話では、
もし、もてなされたのが帝釈天ではなかった場合、
どうなったでしょうか。
ウサギは焚き火に飛び込んで、
命を失っています。
自分のために死んでくれたウサギを憐れんでも、
それを「食べない」という選択は、
ウサギの気持ちを無駄にすることになります。
でも、こんな優しいウサギを、
何も思わずに「肉」として食べることが出来るでしょうか。
非常に難しい問題です。
帝釈天ではない、
一介の旅の老人であったなら、
おそらく、涙を流し、
手を合わせながらウサギを食べたでしょう。
自分を思ってくれたウサギの気持ちを
自分のいのちの中に引き受けるような思いで、
老人はウサギを食べて、
ウサギと同じように、
これからは優しい生き方をしよう、と、
痛いほど心に誓っただろうと思うのです。
2020年、
あなたはどこかで、
ウサギのような存在に出会うかもしれません。
もとい、こんな悲しい形ではありませんが、
誰かの「心づくし」にふれ、
受け取るのが畏れ多いようなものを
差し出される場面があるのではないかと思うのです。
お金や、社会的立場や、高価なものや、
そのままにしておくと失われてしまうけれど、
保存していくことに意味のあるもの。
歴史あるもの、
役割や任務、名誉や勲章、
技術や知識、
誰かの手作りのものや、
誰かの人生の一部や、
ずっと受け継がれてきたものや、その他、
あらゆる「価値あるもの」を、
なにかしら、
2020年のあなたは、
受け取ることになるのです。
それを「受け取らない」という選択は、
ウサギと老人の物語のように、
できないことだろうと思います。
あるいは、
あなた自身が
「ウサギを月に上げる」
ような力を持っていたなら、
それも選択肢の一つとなるかもしれません。
たとえば、
「もらったものを自分一人のためでなく、
みんなのために使う」
「一気に使ってしまわず、
それを元にもっと大きなものを生み出せないか、
その方法を探る」
などのことがそれに当たります。
人間はこの世の中で、
いのちをリレーして生きています。
人から人へ、
モノや立場や、精神や、
一つの世界などが、
どんどん受け継がれていきます。
その中では
「とても受け止めきれない」
と思えるような大仕事もあれば、
「どうやって守っていっていいかわからない」
と思えるような高価なお宝なども
自分の元に回ってきてしまうことがあります。
引き受けるか、引き受けないかは
勿論、自分で選ぶことができますが、
単なるお金やポジションに留まらない、
たとえば「ウサギの思い」のようなものは、
「引き受けない」
という選択肢が、存在しません。
これはギブアンドテイクの経済活動ではなく、
数字の世界からかけ離れた、
聖なるコミュニケーションだからです。
人から人へ、
いのちや歴史をつないでいくような、
特別なコミュニケーションが、
2020年のあなたの世界では、
何度か起こるはずです。
「人の思い」を受け取ったとき、
あなたの中には新しい誓いや願いが生まれます。
その誓いと願いが、
2021年以降のあなたの人生を、
力強く、導いていきます。