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ある時、知人がこんな話をしてくれました。
「子どもの頃、放課後に学校の校庭で
サッカーの試合みたいなことをして遊んでいたことがありました。
体育の授業でやって面白かったので、
少年サッカーをやっているような子たちだけでなく
運動が苦手な女の子なんかも混じって、
でも、田舎なのでけっこう広いスペースを使って
走り回っていたんですね。
で、一応、サッカークラブに所属しているような子達が
細かいルールやポジションの考え方なんかを教えてくれたり、
言わば『仕切って』くれるのですが
何しろニワカというか、シロウトがたくさん混ざっているので
なかなかまともな試合にならないんです(笑)」
「私も『シロウト』組で、
ゴールにボールが入ったら点が入る、
ということしかわからないので
とにかくボールがある方向に走る、みたいに、
何となく混ざってる感じになっていました。
足が速いわけでもないし、
何となく走っていれば、
がんばってるっぽくなるわけです。
そんな最中に、ふと、自分の近くにボールが転がってきて
敵がそれを追いかけてきたので
私も必死で追いかけて蹴ったら、
ボールが、外に出ちゃったんです。
私としては、それをひろって、上手な味方にパスをしてもどそう、
と思っていたので、
しまった、失敗した、と焦りました。
そしたら、ちゃんとサッカーを知ってる男の子達が
なんと、『ナイス!』みたいにいっせいに褒めてくれたんです。
つまり、外に出した方がイイ局面だったわけです(笑)
自分ではなにをしたのかわからなかったんですが
ああ、今ちょっと活躍できたんだ、と思って、
それは、嬉しかったですね。
その記憶があるから、詳しくはないですけど、
サッカーは嫌いではないです」
これを聞いていたもう一人の人が
こんな話をしました。
「そういうことってあるよね。
ちょっとちがうかもしれないけど、
他の人たちが自分の仕事をしていて
ふと、自分の前にぽっかり空間ができていて
そこが自分の仕事になっている、みたいなことが。
誰かに役目を与えられるのでもないし、
命令されるのでもないんだけど
みんなが自分の役割に必死になっている状況で
いきなり自分の前に、
ぽかんとあいた場所が見えて
そこが自分のポジションになる、みたいな」
人から「あなたはこれをやってください」と指示されれば
それを不満に思うかどうかは別として
何をすればいいか、明確にわかります。
でも、現実の世界では、なかなかそうはいきません。
就職活動で「やりたいことはなんですか?」と聞きまくられたり、
人に「何をすれば良いですか?」と尋ねても
その人自身、何をすべきかわかっていなかったりします。
自分が何をすべきなのか、何ができるのか、
見つけ出すのは至難の業で、
何歳になっても
「自分の真の任務とは、本当にやるべきこととは、
いったい、どんなことなのだろう?」
と首をかしげる思いから
完全に逃れることはできないのかもしれません。
そんな中でも
前述の会話にあるような現象が起こる場合があります。
目の前に不意に誰もいなくなって、
「ここに走り込んでいけばいいんだ」
と、身体でわかる瞬間です。
誰が言ったのでなくとも、約束されたわけでなくとも、
任命されたり指名されたりしなくても
味方全部が自分に今、期待していることがわかる
という瞬間が巡ってきます。
もとい「期待されている」のですら、ないかもしれません。
みんなが自分なりにできるポジションを選んだ結果
ひとつだけポジションが余っていて
それこそが自分のものだ
と感じられる瞬間がある、ということなのかもしれません。
自分も含めた関係者全員の関係性の網の中に
不意に炙り出される「自分のための空白」こそが
真に創造的な「使命」なのだ、と
その瞬間は、信じられるのかもしれないと思います。
私たちは、人から何かを頼まれたり、
任されたり、頼られたりすることを
純粋に「嬉しい」と感じられることもあれば、
少々迷惑に感じられる場合もあると思います。
「人の都合で振り回される」のは
あまり気持ちのいいものではありません。
自由にやりたいことがあるなら、尚更です。
でも、少なくとも2017年秋までの蟹座の人々は
「周囲の関係性の網の中で、
一瞬、自分のためにぽこんとあいたポジションを引き受けて行く」
ことに、面白さを見いだすようです。
これは「残り物には福がある」といった話ではありません。
「みんなが嫌がることを引き受ける」といった類の話でもありません。
その「ぽこんとあいたポジション」は
あなたの中にある何事かと
目に見えない赤い糸で繋がっているようなところがあるのです。
そのポジションは、あなたの方から立候補したいような
望ましいものかもしれません。
かねてから狙っていたポジションかもしれませんし
最初はぴんとこなかったけれど
やってみたら自分にぴったりだとわかる
というようなことかもしれません。
更に言えば、冒頭のサッカーの子のように、
「思いがけなくみんなを助けることができる」
ような活躍なのかもしれません。
多くの人を助け、守ることは、
蟹座の人の習性のようなものです。
この時期、あなたが半ば望んでで引き受けるであろう役割は、
ほかならぬ周囲の人のニーズによって、
堅牢に構築されている「居場所」なのです。