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「人の役に立つ」
「人のためになることをする」。
多くの人が目指す目標ですが、
こんなに難しいこともありません。
たとえば、赤の他人相手ならいざ知らず、
最も大切な恋人や身内、我が子にさえ、
おもわずしらず、深く傷つけるようなことをして、
死ぬまでそれに気づかない
というようなことが、
ごく一般的な「人の常」なのです。
「人のためになる」とはどういうことなのか、
真剣に議論する家庭はそう多くはないでしょうし
学校でも具体的に教わったりはしません。
それでも人はなぜか、
成長の過程で心のどこかに
「人の役に立ちたい」という思いを持ち、
自らの生き方を選択します。
「人のためになることをしたい」
という思いは、
一体どこから生まれてくるのでしょうか。
私たちは、自分が生きのびるために、
まず、自分を包み込んでいる人間社会において
なんとか居場所を得て生き抜きたいと望みます。
それには、褒められたり評価されたり、
唯一無二の存在として必要とされたりするのが、
一番手っ取り早いのです。
人から感謝されるような存在になれば、
大切にされ、必要とされます。
人から感謝されるには、
その人の喜ぶことをすればいいのです。
「人の役に立ちたい」という思いのどこかに
「愛され、大切にされ、必要とされたい」
という思いが含まれてしまいがちなのは
当然と言えば、当然です。
愛されたい。
大切にされたい。
褒められたい。
感謝されたい。
ここにいることを肯定されたい。
文句を言われたくない。
誰にも傷つけられたくない。
こうした、誰もが抱く切実な願いと、
「人の役に立ちたい」という思いとは
胸の中で、とても近いところにあって、
時に、一方が他方にじわりと入り込み、
深く浸食してきます。
人の役に立つということは
人から感謝され、褒められるということと
分かちがたく結びついているのです。
昨今よく使われる
「承認欲求」
というものも、
その一つかもしれません。
他者から認められなければ
私たちはこの社会で
居場所を見失うのです。
一方、世の中には、
多くの人の役に立っているのに
たいして褒められもせず、感謝もされない仕事
というのもたくさんあります。
感謝されるどころか、
叱られてばかりいる、といった
辛い仕事も存在します。
そうした辛い仕事に傷つけられ、
心をえぐられて、
心身の健康を失う人もいます。
それでも、
私たちは、日常的に
相手に全く気づかれないような形で
人を助けてあげることがあります。
一方、事故や病気で心身に障害を負い、
「人の役に立てない」ことで
深い苦悩を抱える人もいます。
その人が生きている、
ということが、
周囲の人々の心にどのような力をもっているか、
それに気づくまでは、
自分を責め続けてしまう人もいます。
これらのことは、
「世の中で生き抜くためには、
感謝されなければならないから、
役に立とうとする」
という仕組みとは
少しずれたところにあるように思われます。
2019年、蟹座の世界では
「人の役に立つ」
「人のためになることをする」
ということがテーマとなっています。
この「人」は、
身近な人々から「社会の全ての人々」に至るまで、
幅広い「人」を意味します。
「人のためになにかしたい」と思ったとき、
「何が人のためになるのか?」という謎が
私たちの前に立ちはだかります。
「人が喜んでくれる」というのは
一つの指標ではありますが、
たとえば、子どもが喜ぶからと言って
お菓子やおもちゃを際限なく与えまくるのは
決して「子どものため」には、なりません。
相手が喜ぶかどうか、ということだけでは
「本当に相手のためになっているのか」は、
判断できない部分があります。
友だちの欠点を目にしたとき、
それに目をつぶることもできれば、
それを指摘することもできます。
率直に指摘して深く傷つけてしまい、
相手が自分の内側に閉じこもってしまったら、
それは、相手のためにはならなかった、
ということになります。
一方、目をつぶってつきあい続け、
あるときふと、相手が欠点を自覚し、
これまでのことを謝ってくれたなら、
長い間のガマンは「相手のためになった」ことになります。
ですが、もし相手が自覚することなく
ずっとその欠点が原因で苦しみ続けたなら
「もっと相手のためにできることがあったかもしれない、
どこかで指摘してあげるべきだったかもしれない」
ということになるでしょう。
ある人がやって上手く行くことでも
他の人には上手く行かないかもしれません。
「なにが本当に『人のため』になるのか」には、
決定的な正解がないのです。
2019年、あなたはこの
「何が人のためになるのか」
という難問の前で、
全ての智恵、全ての経験を総動員して
考え、試行錯誤し、
挑戦してゆくことになります。
「他者」はいつも、人間にとっての難問で
理解しきることもできなければ、
コントロールもできません。
そうした「他者」の前で、
相手の「ためになる」という、
ある意味おこがましいようなことを試みるわけですから、
これは、大変な1年だな
と感じる人も少なくないでしょう。
でも、私たちはたぶん
自分一人のために何かをしているときには
それほど、幸福にはなれないのです。
誰かのために行動して、
それが本当に相手のためになったのだと分かったとき、
これ以上の喜びはない、というほどの
大きな幸福を感じることができます。
それが愛する人や大切な人なら当然のことですし
たとえ見ず知らずの人でも
それが人でなく、子犬や小鳥であっても
小さな花や虫であったとしても
「相手の人生のために、幸福のために、
相手の真の成長のために、
わずかにでも役に立てた!」
と思える瞬間が巡ってきたとき、
それが一番、嬉しいのです。
このよろこびは、おそらく、
単純に人から褒められたり、
感謝されたり、愛されたりすることよりも
ずっと大きなよろこびです。
ほめ言葉や感謝の言葉は、
一時的には心を潤してくれても、
砂が水を吸うように、
すぐ乾いてしまいます。
一方、
「自分が人の役に立ったのだ」
という記憶は
心の中の、尽きない幸福の泉なのです。
そのよろこびの前には、
たくさんのトラップが立ちはだかります。
余計なお世話や自意識過剰、
傲慢な介入や自己満足、
支配欲や優越感、上から目線、
心理的な補償、承認欲求、
注目されたいという願望、
お節介、押しつけ、言い訳、思い込み、等々、
「人の役に立ちたい」という純粋な思いは、
カビやすい目地で仕切られたタイルのように
ごく簡単に侵食されます。
自分が本当に相手のためになにかしたいのか、
それとも、その行動によってただ、
自分を守り、満足させたいだけなのか。
どんなに自問自答しても
自分の心の落とし穴に気づかずに
私たちは、他人との関係をこじらせてしまうことがあります。
人のためを思ってやったはずなのに
相手のためにならなかったとき
私たちは、深く深く傷つきます。
そのリスクを引き受けて、
2019年のあなたは慎重かつ大胆に
「人の役に立つ」ことを目指すでしょう。
どんな試みにもリスクはつきものですが
ここでのリスクは主に
「自分の心の弱さ・渇き」にあります。
自分自身の心と常に対話を重ねながら、
「人のためになること」を模索する、
その道のりを歩いて行くことになるでしょう。
もちろん、
体調が悪くて人の役に立てる状態ではない
という人もいるでしょう。
自分のことで手一杯で、
人の事を考えている余裕はない
という人もいるでしょう。
そういう場合は、
無理をして他人の役に立とうとするのではなく
むしろ、
自分自身のために「役に立つ」ことを
考えていける年となるはずです。
自分であっても「人」ですから、
自分が自分の役に立ってあげることは
歴とした
「人の役に立つ」
ことなのです。
ただ、様々な困難の中にある人でも、
身近な他者に対する優しさや思いやりで
キラリと光る幸福を
人に分け与える瞬間がある、
というエピソードを、時折、目にします。
看病されている人、介護されている人が
看護者や介護者に感謝される瞬間
というのが、ちゃんとあるそうです。
「あの利用者さんの一言に救われた」
「あの患者さんの反応に支えられた」
というような話を、よく耳にします。
私たちは、
人になにかをしてもらうことしかできないような時でさえ
ふと、その人の役に立つことがあるようです。
「人のため」ばかり気にして、
自分は犠牲にしなければならないの?
と思う人もいるかもしれません。
「人のためになること」は、
自分の幸福を犠牲にして、
自分を苦しめて人を幸せにすること
では、私は、ないと思います。
前述の通り
「人を幸せにするのに一役買えたとき、
その喜びに勝るものは無い」のです。
つまり、自分自身の幸福のために、
「人のためになること」を追求するのです。
もし、「人のためになること」をして
自分が本質的に不幸になるのだとしたら、
それは本当に
「その人のためになっているのか?」と
考えなおさなければならないかもしれません。
この時期の「人の役に立つこと」は、
それが実現したとき
他ならぬあなたこそが
最も幸福な気持ちになるのでなければなりません。