獅子座の今年の占い

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獅子座の2023年は、愛のあたたかさの年です。
冬が終わって春が来るような、ほんわかした解放感、爽やかな温度を感じられる年です。
優しい年であり、理解者に恵まれる年であり、自分の側でも「わかった!」「理解できた!」と思えることがたくさんある年です。
閉ざされていた扉が大きく開いて、その向こうに出てみた時、そこからたくさんの道がいろいろな方向に伸びていて、「どこへでも行けそうだ!」という希望が湧いてきます。

内側か外側かと言えば、外側に向かう年です。
遠い場所、高いところを目指せる年です。
人間関係も「外へ、外へ」と拡大します。
「身近な人との内輪受け」のような雰囲気は、2023年にはあまり感じられないはずです。
新しく出会った人々、未知の人々と、お互いの違いに驚き合い、学び合うような場面が多いでしょう。
それでも、人との距離感はこれまでよりぐっと近くなります。
遠くから来た人とオープンに打ち解け合って、爽やかな結びつきをつくれる年です。
とはいえ、「みんなでワイワイやる」ような感じは、むしろ少ないかもしれません。
関わる相手は少数精鋭、一対一で、長期的なものだけが目立ちます。

人との関わりがあたたかくなる年ですが、「人に期待する」ことは、あまりできないかもしれません。
良くしてもらったり、機会を与えてもらったり、ということは、むしろ制限される可能性があります。
「毎年もらっているギフトが贈られてこなかった」「だいたいいつもこの時期に声をかけてくれる人が、今年は声をかけてくれなかった」などのこともあるかもしれません。
でも、これは決して悲観すべきことではありません。
というのも、この時期大事なのは「誰が声をかけてくれなかったか」ではなく、「誰が声をかけてくれたか」なのです。
この時期あなたに積極的に働きかけ、様々な機会やものを「継続的に提供してくれた人」は、まぎれもない「大切な人たち」であり、信用に足る、今後も長く付き合っていける人です。
誰が大事な人で、誰が本当に気にしてくれていて、誰が自分を理解してくれているのか。
2023年は不思議と、そのことがハッキリわかります。

たいていの人は「人と仲良くしたい」「みんなとうまくやっていきたい」「摩擦や衝突は少ない方が良い」と思っているだろうと思います。
「人から嫌われたくない」「尊敬されたい」「良く思われたい」という気持ちも、ごく一般的です。
「モテたい」「人への強い影響力を持ちたい」「褒められたい」「いつでも注目されていたい」など、さらに強い願いを胸に燃やしている人も少なくありません。
このような思いは、本当に誰もが多かれ少なかれ抱いている、自然な願いです。
でも、こうした思いが強くなり過ぎると、少なからず人生や生活が歪むことがあります。
たとえば、人からよく見られるためだけに、モテるためだけに、愛する人の気持ちをつなぎ止めるためだけに、自分を見失うほどの無理を重ねてしまう人が、たくさんいます。
人と関わりたい、良い関わりを持ちたい、という自然な望みが、いつかモンスターのように強大になり、自分を支配してしまうと、そこには苦しみばかりが積み重なります。

さらに、「誰とでも仲良くなりたい」という人も、現実的には「誰でもイイというわけではない」と感じるところがあるはずです。
好きな相手と嫌いな相手があるのが、普通です。
相手は何も悪くないのに、どうにも好きになれない、苦手だ、といった思いを抱いてしまう場合もあります。
一方、相手から嫌われていることがわかっているのに、なぜか相手が好きでついてまわってしまう、というような不思議な現象も起こります。
人間関係において最も難しいのが、こうした、お互いの好意のミスマッチです。
こうしたミスマッチから、現実的なトラブルが起こることもよくあります。
その場合、互いに「相手に原因がある」と感じますが、実際には自分が相手に何らかのイメージを投影し、そのイメージに絡め取られて起こるトラブルがほとんどです。

獅子座の2023年は「愛の年」です。
本当の愛とは何か、本当に大切な人間関係はどれか、その人との関わりの本質は何か。
そうした「関わりの世界」に、深く深く入り込むのが、2023年のテーマです。
上記のような人間関係上のトラップを越えて、本当に大切なものは何なのかを考え、選び出せる年なのです。
たとえば、どうでもいいような関わりから脱出したり、「褒められること」の呪縛から逃れて本物の関わりを得たりできるかもしれません。
繰り返される妙なパターンの原因を突き止め、辛い人間関係の罠から解放される人もいるでしょう。

人間同士の関係は、たとえば社会的立場や利害関係など、様々な条件で結ばれます。
でも、この2023年に限っては、人間関係の軸は「愛」です。
その関係がどんなに対外的なものであっても、どんなに形式的なものであっても、最終的にはそこに「どんなあたたかな感情が流れるか」が焦点となります。