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「好きなものはなんですか?」
と聞かれたときと
「愛しているものはなんですか?」
と聞かれたときとでは
答えは、かなりちがってくるでしょう。
「愛する」といったとき、
すぐに恋人やパートナー、子どもなど
「人」を思い浮かべる向きもあると思いますが、
たとえば
「あの人は音楽をこよなく愛していた」とか
「映画を心から愛している人たちの集まり」など、
人以外のものを深く愛する場合もあります。
「好きなもの」は、嫌いになることも出来ますが
「愛するもの」なら、
自分から切り離すことは難しく思われます。
価値観の相違から別れてしまったカップルであっても、
相手への愛情はずっと残っている場合があります。
憎しみあって分かれた場合ですら、
心のどこかで、
微かな愛情をぬぐい去れないことだってあるのです。
子どもの笑顔を見るのが生きがいです!
と言う人もいますが、
子どもが喜ぶからといって何でも制限なく与えていたら
子どもにとって、
決してよくない結果になることがあります。
一方、大人が子どもに
「この本は、ためになるから読みなさい」
と与えたとしても
子どもは全く読んでくれなかったりします。
どんなに栄養があるものでも、
味が好きになれなければ、楽しめません。
大人にしても、
「こんなことはやめないとなあ」
思いつつ、なかなかやめられないことがあります。
また、「これはためになるから、挑戦しよう」と思っても
どうにも好きになれなくて、放置してしまう
といったこともあります。
好きか、嫌いか。
自分にとって必要かどうか。
誇りを持って愛せるものもあれば、
それを好きだということに
後ろめたさを感じるようなことだってあります。
何かを好きになったり、
愛着を感じたり、
「自分の一部だ」と感じたりするのは、
簡単なようで、なかなか難しいことなのだと思うのです。
2016年、獅子座の人は
いろいろなものを好きになると思います。
愛着を感じたり、
自分の世界に新たに取り入れようと試みることになるでしょう。
ですがその随所で、
「これを好きになって、入り込むべきなのか?」
「自分は本当に、これが好きなのか?」
「好きになったこれは、自分に合っていると言えるか?」
「自分はこれにふさわしいだろうか?」
など、様々な疑問を感じ、
深く考えることになるはずです。
そうした思いが生じるのは、
決して悪いことではありません。
「愛する」という光と、「好き嫌い」という別の光で
ひとつひとつをさまざまに照らしてみるうちに、
今現在の「自分」のかたちが、ふと
浮かび上がってくるだろうと思います。
そして、この時期に自分の心と対話しながら
徐々に「愛し始めた」ものたちは、
今後長いこと、あなたの一部として
あなたを守り支えてくれることになるだろうと思います。
2016年、獅子座の人は
物質的・経済的に恵まれる季節を迎えています。
多くの人がゆたかさを望みますが、
いざ、ゆたかさが近づいてくると
それと向き合い、つきあっていくのは
なかなか難しいところもあるようです。
たとえば、
同じ100万円を手にしている人がいたとしても、
一人は1万円の元手で宝くじを当てて100万円にした人で、
もう一人は、200万円をギャンブルに突っ込んで
半分になってしまった人であれば、
両者の手の中の「100万円」の価値や意味は、
それぞれ、全く違っているでしょう。
前者は100万円がとても嬉しいでしょうし、
後者には、とても足りない、辛い金額に感じられるでしょう。
数字という客観的なものでわかる金額と、
私たちが生きる現実の「ゆたかさ」とは
まったく、別のものなんだろうと思います。
私たちは、未来の事を考えるとき
「どのくらい手に入れることができるだろうか?」
「どんなものが手に入るだろうか?」
と考えますが、
自分が何を欲しがっているか、何を必要としているかは、
「解りきっていることだ」として、
あまり深く考えません。
でも、おそらく、本当になにかが手に入る時には、
「何が欲しいのか、何が必要なのか」
ということこそが、解っていないといけないのだと思います。
そうでなければ、
手の中にあるものの数値的な評価は解っても
それが自分に何をしてくれるのか、が
解らなくなってしまうからです。
2016年、獅子座の人は
何が欲しいのか、何が必要なのかを
ひたむきに考える場面に遭遇するだろうと思います。
それは、愛することや何かを好きになることとも
通底したテーマであるはずです。
2016年9月以降、獅子座の人の多くは、
ある種の勉強を始めると思います。
この勉強もまた、
「何が欲しいのか、何が必要なのか」
が解っていなければ
その方向性を、自分自身のために定めることができません。
この時期、獅子座の人は愛の世界から
あらゆるものを吸い上げることができます。
泉の妖精に
「あなたが落としたのは銀の斧ですか、金の斧ですか」
と聞かれて、
「どちらでもなく、鉄の斧です」
と答えた木こりは、
一般に、正直という「美徳」の象徴と捉えられます。
でも、もしかすると木こりは、
自分が欲しいものや必要なものがハッキリ解っていたからこそ
「鉄の斧です」
と答えたのではないでしょうか。
自分が欲しいものや必要なものがハッキリ解っていれば、
鉄の斧こそが、
その人にとって何よりも豊かな、
「金銀財宝」に匹敵する価値をもたらします。
2016年、獅子座の人の好悪や愛は、
「鉄の斧です」と答えることによって
三種類のすべての価値を手にするような、
そんな仕組みの物語として展開していくのかもしれません。