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「あなたのことを、もっと知りたいです」
というセリフは、言わば
「慎重な愛・好意の表明」とでも言えるでしょうか。
この表現の中には、
「まだあなたのことをわずかにしか知らないので
好きだと言っていいかどうかわからないけれども、
とにかく強い興味関心を寄せている」
という保留が含まれています。
更に言えば
「好きになるということは、
そんなに軽々しいものであってはならない」
という、心の戒めのようなものも
その根っこにあるのかもしれません。
恋愛に限らず、たとえば趣味などを尋ねられて
「まだやって日が浅いし、
そんなに詳しいわけではないし、
趣味と言っていいのかどうか……」
と迷ってしまうような経験は
誰にでもあるのではないかと思います。
「好き」「愛する」ということへの敬意や誠実さが、
安易に「好きだ」と表明することを
思いとどまらせているのだろうと思います。
更に言えば
「あなたのことを、もっと知りたいです」
というセリフには
もっと深い疑いも込められているように思えます。
というのも、私たちは何かを「好きだな」と感じると、
その対象の中に「好きな部分」のみを
無意識に探そうとするのです。
好きな対象の中に、さらに好きなものを探し当てていけば
好きな気持ちはどんどん膨らんでいきます。
まるで雪だるまが他の雪をくっつけて
どんどん大きくなっていくように、
「好き」は、自動的に膨らんでいくわけです。
でも、そんな風にして膨らんだ「大好き」な気持ちが
ある一瞬で、パンパンの風船がパチンと割れるように
ささいなことで壊れてしまう場合もあります。
「幻滅」という現象です。
文字通り、大きく膨らんだ「大好き」は単なる幻影で、
現実という鋭い針に触れたとき、
幻想が消え失せてしまうことがあるわけです。
たぶん、誰もが
「人から好かれたい」と密かに願っていますが
実際に誰かから「好きです」と言われたら
「それは幻想では無いだろうか」
「すぐに幻想の風船がはじけ飛ぶのではないか」
という恐れを感じる部分があるでしょう。
もちろん、相手の人柄にもよるでしょうし、
それまでの経緯や経験の積み重ねなどがあれば、
そんな不安は抱かなくて済むかもしれません。
でも、私たちの「好意」には、
そんな危うい部分があるのは確かです。
「あなたのことをもっと知りたいです」
という「慎重な愛の告白」は、
相手に対して誠実でありたいという以上に
自分自身の中に、そうした
「幻想の雪だるま」「幻想の風船」を
無責任に膨らませてはならない、
という戒めの気持ちがあるのではないかと思います。
更に言えば、生身の人間である以上、
どんなに「戒め」たところで
魅力を感じた対象の中に更に美点を探してしまう
という無意識の心の動きから、
私たちは完全に自由でいることはできません。
一瞬の恋の感情に身を任せればいいだけなら、
心惹かれた相手の中に、さらに好きなところを探して
それを膨らませていくことも悪くないと思います。
でも、相手に対して誠実でありたい、
自分自身も愛について責任を持ちたい、
長い愛の道を歩いてゆきたい、
と考えたなら、
たとえ恋の始まりのシーンであっても、
「自分との闘い」が発生します。
「あなたのことをもっと知りたいです」というセリフは
もちろん、それを用いる人の心情、シチュエーションによって
様々に意味が変わりますが、
たとえば2017年の獅子座の世界では、
「愛するということは、軽々しいことではないし
そんなに簡単なことでもない」
という、ひたむきで誠実な自己との闘いの
決意表明のようなものだ、
と言えるように思われます。
上記のことは恋愛を例に取りましたが、
あくまで「例」です。
もちろん、2017年にこの通りのことを恋愛で経験する人も
決して少なくないだろうと思います。
さらに上記の「例」は、
仕事でも子育てでも家族との関わりでも、
そのほかの社会活動でも、プライベートな取り組みや趣味、
人間関係、クリエイティブな活動に関しても、
十分当てはまるだろうと思います。
好きな気持ち、意欲、関わりたいと思う気持ち。
その気持ちが軽々しいものでなく、
常に「その先」を引き受けて行こうとするものであるとき、
私たちはその情熱の手前で
「これは本当に、正しいのかな?」と
自問することになります。
その自問の土台があってこそ、
愛も、創造的な活動も、しっかりと根を張って上に伸びていく
ということであるはずです。
人でも、何らかの活動や趣味、仕事などについても
「これを軽々しく自分のフィールドだと主張するわけにはいかない」
と考えたなら、
まずは、勉強を始めることになります。
2017年は言わば
「愛と情熱のための学び」
の季節と言えるでしょう。
2015年頃からあなたはそのような活動をすでに
スタートさせていたのではないかと思いますが
2017年は、愛と創造のための「学び」が、
急ピッチで展開して行きます。
学べば学ぶほど対象への愛情は深まるでしょうし、
「これを好きだと言っていいのだ」
という自信が育っていきます。
人でも、何らかの分野や取り組みでも、
ある対象を堂々と「好きだ」と言える自信は、
私たちのアイデンティティに直結しているところがあります。
自分自身を見つめてもどうしても見えなかったものが
何かを「好きだ」という気持ちの中で初めてみつかる
ということがあるわけです。
すなわち
愛するもの、好きなことについて自信を持つために学ぶ
という営為は、イコール
自分自身について学ぶ
ことでもあるのです。