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数年前、ある国を旅行したとき、
困ったことがありました。
それは、レストランなどでなかなか
「一人分のメニュー」が見つからないことです。
そこでは家族みんなで、あるいは仲間大勢で行動する文化があり、
ファミリーレストランとおぼしき場所でも、
メニューは大皿料理がほとんどなのです。
来ているお客さんもみんな、
おばあちゃんから幼い子供までの大人数で、
老人の手を支えながら歩く少年少女の姿がどこにでも見られました。
そんな習慣があるため、
その国では「介護サービス」という概念が
ほとんど浸透していないと聞きました。
詳しく研究したわけではないので実際のところは解りませんが、
たくさんの家族が一緒に暮らしているため、
負担はみんなに分散されている、
ということなのかもしれない、と思いました。
家族制度を守ることが正しい、
というわけではないと思います。
そのシステムに馴染まない人が、
道義的に否定されたり排除されたりしてしまう構造は、
やはり、どこか間違っているように思われます。
でも、自分の生活というユニットを、
あまりにも小さくして世界から切り離すと、
「重荷」はしばしば、たった一人の背中にのしかかり、
背負った人がつぶれてしまいます。
仕事の場でも、家庭の中の営為でも、
そうしたことは珍しくありません。
なるべくたくさんの人が少しずつ担う、
というほうがずっと安全です。
2014年、乙女座の人は
「自分の望むもののために、人の力をなるべくたくさん集める」
ことをテーマとするはずです。
仲間を得たり、友達を得たり、
チームを結成したりすることになると思います。
組織を作る人もいるかもしれませんが、
そこに生まれる人間関係は、あくまで平等です。
猿山のようにボスとハーレムがあったりはしません。
お互いがお互いのために、自由に存在し、
あくまでふわりと結びついていられる、
オープンな関係を形成できる時期なのです。
自分自身のために人の力を借りることは、
決して「ワガママ」なことではありません。
前述の通り、
一人で背負っていてはつぶれてしまうようなものを、
たくさんの人に少しずつ分散して預けていくことによって、
相手もまた、自分の背負うものを周りの人に預けていくことができます。
そこでは、義務や責任といった「…すべき論」ではなく、
「やってもやらなくてもいいけど、すこしだけやる」といった、
ふんわりした形を実現できる可能性があります。
自分のかかえる問題を人に相談することを「恥ずかしい」と感じる人もいます。
人の手を借りることを「負けだ」と感じる人もいます。
何もかも自分でやったと誇りたがったり、
自分が犠牲になっていることを人に見せつけることでなぜか、
安堵感を感じる人もいます。
でも、そうした「自分を守るためのもの」によって、
逆に自分が本質的に苦しめられているのは、
悲しいことだと思います。
そんな人生のワナにはまってしまった人にとって、
2014年は本質的な解放の年とすることができるはずです。
自分が何を欲しがっていて、本当はどうなれば充たされるのか。
まずそれを発見するのが、大変なことです。
2014年、乙女座の人は精力的に、
それを突き止めることになると思います。
あるいは、それをもう既に発見している人は、
欲しいものを手に入れるために、
まっすぐに奮闘することになるでしょう。
それは、あなたの個人的な活動にとどまらず、周囲の人々を巻き込んでいきます。
これは決して悪いことではなく、
むしろ、周囲の人にもあたたかな光を投げかけることになると思います。
人は、頼られることによって仲間を増やすのではなく、
自分から頼ることによって仲間を増やすものだと思います。
頼られた人は、頼られた経験を元に、
自分も相手に頼れるようになるからです。
そして、乙女座の人は、
誰かから頼られたとき、誰よりも頼もしい「味方」です。
年の後半、もう一つの「解放」が起こります。
誰にでも「ゆるせない」ことがあると思うのですが、
その鎖が幾つか、外されることになるのです。
ある種のマナー違反を許せなかったり、
子供が大きな声を出すのをゆるせなかったり、
手を洗わないのをゆるせなかったり、
遅刻する人をゆるせなかったり、等々、
人によって許せないことは本当にさまざまです。
ある人がいきり立つようなことに、
他の人は全く無関心だったりすることも、
決して珍しくありません。
ルールの観念、衛生的な感覚、マナ?、規範意識、上下関係、
テリトリーの感覚、道徳、道義的な観念。
そんな、一見合理的なようでも実はかなり恣意的な「ゆるせない」ことを
、なぜかふと、ゆるせるようになったとき、
とたんに自分自身が重たい鎖から解放されることがあります。
「ゆるすこと」「ゆるされること」は、
2014年後半から2015年前半にかけての、
乙女座の世界での主要テーマの1つです。
真に私たちが求める「自由」とは、
「縛られないこと」ではなく、
「ゆるされること」なのかもしれません。
「縛られない」自由は、孤独に結びつきますが、
「ゆるされる」自由は、孤独とは無縁です。
2014年後半以降の「ゆるすこと」「ゆるされること」のプロセスは、
昔関わった人々との交流をきっかけとしてスタートするかもしれません。
懐かしい人、懐かしい場所、
時に心に鈍痛をともなうような記憶を喚起させる出来事が、
あなたを「孤独ではない自由」の世界へと、
導いてくれるのかもしれません。