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多くのドラマに、復讐物語が描かれます。
復讐しようとする人の意志は非常に固く、
ちょっとやそっとではその行動を止めることはできない
というふうに描かれることが多いようです。
復讐者は、たいてい孤独ですが
その孤独に飲み込まれて動きを止めてしまうことはありません。
もちろん、2012年の蠍座が「復讐に燃える」なんてことを
書きたいわけではないのです。
この例を挙げることで私が言いたかったのは
孤独に戦っているように見えても、
その戦いがタフで真剣でありつづけられるのは
その人が真の意味では孤独ではない場合だ
ということが言いたかったのです。
復讐劇ではなくとも
「誰かのために戦う」と意志している人々は
孤独を理由に戦いを辞めることはありません。
彼らは本当の意味では孤独ではなく
胸の中に、ありあまるほどに「だれか」と、常にともにいます。
だからこそ、物理的には一人でも
意欲や意志を失わずに、突き進めるのだろうと思うのです。
2012年、蠍座の人は
心の中に熱く「ともにある」状態を実現します。
それをあふれんばかりに抱えた後、
一人で立ち向かう勝負の世界に入ってきます。
前述の通り、これは、
周囲の人々と切り離されて放り出される、
ということではないのです。
たとえば、どんなに頼もしい家族があっても、
どんなに解り合える仲間がいても、
どんなに愛し合った恋人がいたとしても、
仕事や学校や、自分の目標を目指すための場には
最終的には一人で向かわなければなりません。
どこにでもついてきてもらうわけにはいかないのです。
自分にとって本当に大事な場では
自分一人で歩いて行くしかありません。
それでも、心の中にはちゃんと、
切っても切れない、目に見えない融合を温め続けていられます。
大切な人が土壇場で支えてくれるのは、
その場にいて、自分の代わりに戦ってくれるから、ではないわけです。
戦いの最中に思い出しても
それが決して、儚い過去の残像ではなく
ちゃんと信じられる、自分にとってだけ限りなくリアルな存在であるかぎり
孤独のなかにいて
「これは一人でやらなければならないのだ」
ということを、
いつも勇敢に引き受けていくことができるわけです。
この「ともにある」存在は、
今現在のものではない場合もあるでしょう。
時には、遙か昔になくなった人や
もうわかれて久しい相手や、
歴史上の人物である場合さえ、あります。
でも、生身の時間を一緒に積み重ねて
お互いに信じ合える相手である可能性が多分
高いだろうと思います。
2012年の前半からなかほどにかけて、
蠍座の人はそんな
「こころいっぱいにかかえる、ともにあるということ」
を、みっちり培っていくのだろうと思います。
そして、そこでつちかった力を胸に、
秋頃から、一人で望む戦いに出かけていきます。
もとより、蠍座の人は
「目で見える、手で触れるものだけを信じる」
というような、浅薄な心の持ち主ではありません。
目で見えようが見えまいが、
本当のものはちゃんと、あるべきようにある
ということを、心底知り抜いているのが蠍座という星座です。