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「向き合う」という表現は、
どこでも、ごく一般的に使われています。
「向き合う」とは、
普段見過ごしていたり、
意識的にか無意識にか、
棚に上げていたりしたことについて
姿勢を変えて「向き直る」ということだと思います。
今までそのような姿勢でみたことのないようなものに、
向き直って、しっかり焦点を合わせる
ということなのだろうと思います。
逃げる、見逃す、見えないフリをする。
人間の心の弱さはそうした選択肢を、
ごく簡単に、ほとんど意識もせずに選びとります。
あるときはそれこそが、
自分を守るための唯一の手段となる場合もあります。
自分の力では勝てない相手からは
とりあえず、逃げるしかありません。
直視すればその先に進めないようなものなら
目をつぶって先に進むしかないことだってあります。
人の目は、視界の全てをキャッチするわけではありません。
自分の頭の中にある意味や価値というナイフで視野からアイテムを切り取り
切り取ったアイテムを頭の中で再構成して
「これが見えたのだ」
と思い込みます。
切り落とされたり、スルーされたりしたものが
視界の片隅にぼんやりと、残骸としていつだって、残っているわけです。
そうやって、ごく限定的に「見る」のでなければ
人間は多分、この世界で生きていくことができないのです。
2012年、射手座の人々は、
いままで積み重ねて来たそんな
「視野の片隅の残骸」に
向き直って、そこに焦点を合わせることになるのではないかと思うのです。
もとより、それらを悪意で積み上げたわけではなく、
今までは多分、それが必要なかったか
あるいは、今までの自分では
それらに太刀打ちできなかったのかもしれません。
でも、今なら、
過去に積み上げた「見てこなかったもの」に
立ち向かって、さらにそれらを自分のものとすることができるようになっています。
その力が、十分にそなわったのです。
2012年、
今まで「自分にはまだ、ムリだ」と閉ざしてきた扉を
静かに、開くことになります。
その扉の向こうには、
見知らぬ世界ではなく
どこかで見てきたか、
いつか見たことがあるか、
または、いつか見るだろうと予期していた
そんな、既視感を伴う風景が
広がっているのだろうと思います。
2012年、射手座の人々がもうひとつ「向き合う」ものがあります。
それは、一対一で関わる「他者」です。
他者と「向き合う」のもまた、
「向き直る」という要素を含んでいます。
人は日々、意識せずに数え切れないほどの他者とすれ違います。
目も合わせずに行き交う人々、
お店などで簡単な挨拶や応答を交わし合う相手、
メディアやインターネットを介して接する相手、等々、
誰にも会わなかったように思える日にも
何らかの形で
遠くにいる他者と接触しながら過ごしています。
つまり、それほどに「他者」は、
意識の外側に置きながら接触できるものなのです。
そんな、意識の外側に置いている「他者」を
まるで自分自身に向けるのと同じほどの関心を傾けて見つめることは
確かに、姿勢を変えて「向き直る」作業であるはずです。
2012年は、どんな立場かは解らないのですが
あなたにとってとても大切な存在に「向き合う」ことになると思います。
その相手は、既に出会っている相手でも、
これから出会う相手であっても、
「向き直って見つめる」までは、いないも同じと言えるかもしれません。
人間の目は前述の通り、
意識や価値観や意味で「見つめよう」と決めるのでなければ
対象を捉えてくれないからです。