射手座の今年の占い

アーカイブ記事

「ご先祖の祟りがある」などと脅すような悪徳商法について、
あるお坊さんが
「あなたは子供や孫をひどい目に遭わせたいなんて思いますか?
先祖なら祟ったりしません!」
と言った、という話を聞きました。
たしかに、本当に「先祖」なら、子孫を守りたいと思いこそすれ、
苦しめたいとか、ましてや死なせたいなんて、
思わないだろうと思います。
「ご先祖に守って頂いている」と考えている人は、
現代にもたくさんいます。
家の中に仏壇を備え、あるいは墓地をととのえて
世界中の人が「過去の人々」にお参りをします。
彼らが親のように自分を心配していると考え、
それに対して、お礼を述べるような気持ちで
跪き、あるいは手を合わせるわけです。

もし、そうした「ご先祖」というものが空の彼方にいて、
子孫にして欲しいと思うことがあるとすれば
いったいどんなことだろう、と思います。
感謝の気持ちで祈ってくれるのはおそらく、とても嬉しいでしょうが
たぶん、もっとうれしいのは、
自分が残していったなにごとかに新しい命を吹きこみ、
それを生きている人々が自分自身のものとして
栄えさせていってくれることなのだろうな、と思います。
これは、人が誰かにプレゼントを渡したときと同じ気持ちだろうと思うのです。
贈ったものを、相手が気に入ってしばしば使ってくれたり、
あるいは、それを使うことによって幸せになってくれたりすれば、
それが一番、嬉しいことなのではないでしょうか。
もちろん、笑顔で「ありがとう」と言ってもらうことも
とてもうれしいことです。
でも、そのあとずっと、それを大切にしてくれていると解ったときは
なお一層の喜びが感じられるはずだと思います。


2013年、射手座の人に先祖の御利益がありますよ、
なんて言いたいわけではないのです。
そうした「ご先祖」の力のようなものがあるのかどうか、
私には、まったくわかりません。
でも、死んだ人たちでなくとも、
生きている人からでも十分、
私たちは色々なものを受けとって生きています。
更に言えば、「人から受けとるもの」は、
自分でどうこうすることができません。
「これをプレゼントしてね」と指定できるような場合も確かにありますが
そう指定したからと言って、
そのもの!を買ってきてくれるかどうかは、解りませんし
もし、違った物をくれたとしても
くれた相手が「悪い」ということにはなりません。
ギフトのナカミを決めることができるのは、贈り主だけです。
さらに、私たちにギフトをくれるのは、
人だけではなく、社会とか、世界とか、偶然とか、
さまざまなものがあります。
私たちは毎日、世界中のあちこちから、
有形無形の「自分では選べないギフト」のようなものを
受け取り続けている、と言えるかもしれません。

ギフトの贈り主は、
感謝してほしい、と思っているかというと、
そういうわけでもないと思うのです。
自分を覚えていて欲しいとはおもうかもしれませんが、
ありがたがって欲しい、というわけではなくて、
むしろ、贈ったものや贈り主である自分を好きでいて欲しいとか、
信頼してもらいたいとか、
さらに、それを使うことによって幸福になって欲しい、などと
思っているはずです。
自分自身が人に贈り物をしたとき、相手にどうして欲しいか。
それを想像してみると、そのことはよくわかります。
何かをあげた相手に、
遠慮したり申し訳なかったりして欲しいなんて
これっぽっちも思えないはずです。
さらに、贈ったものを大切にしてくれている様子を見たら、
「またなにかいいものがあったら、贈ってあげたい」
という気持ちになります。
ギフトの「使いよう」によっては、
さらに大きなギフトがもたらされることも、めずらしくありません。

辞めていく上司から大事な仕事とお客様を引き継ぐこと。
死んだ祖母が毎日欠かさずしていた習慣を引き継ぐこと。
学校で先輩が卒業し、様々なことが後輩達に引き継がれること。
財産や家屋敷を引き継ぐこと。
文化や伝統を引き継ぐこと。
名前や肩書きを引き継ぐこと。
こうしたことも、ある種「選べないギフト」のひとつです。
嬉しいこともあれば、いやなことが含まれている場合もあります。
それらを自分なりに理解し、咀嚼して、
自分自身のものに変えていくことになります。
この場合もやはり、なによりもそれを「自分のものにする」ことが
一番の「恩返し」になるのだと思います。

2013年の射手座の世界では、そんなふうに
「自分の意志で選び取ったわけではないものを受け取り、
そこにある豊かな価値や力を用いること」
がテーマとなっています。
この時期受けとるものはおそらく、
あなたのルーツとなる「歴史」に結びついていると思いますし、
あなたが長いことコンプレックスとしてきたことや
苦手意識をもっていたことなどを、乗り越えさせてくれる力を持っています。
2013年はどこか、
自分からガツガツ何かをとりにいく、というよりも、
不思議な風が自分をどこかに運んでいく、
という感じが強く感じられるかもしれません。
これは、単に受動的になっていればよい、ということではなく、
冒頭から述べたような「使う、自分のものにする」ことに
むしろ、積極的にならなければいけないということだろうと思うのです。
受けとって、噛み砕いて、血肉にしていく、というプロセスを
遠慮なく、むしろ自ら進んで、たどっていくことになるはずなのです。