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射手座の人は、たいていは友だちや仲間に恵まれていますが、
「一人で行動したい」という気持ちも
胸に秘めているところがあります。
射手座は「狩り」の星座です。
チームで行う狩りもありますが、
やはり、獲物と一対一で向き合い、
誰の手柄なのかハッキリしている、という勝負のほうが
スッキリするところがあるのかもしれません。
ですから、2016年は基本的に
「一人で活躍する」ことが求められる
と言われても、
特に、怖くなったりはしないだろうと思います。
単独行動の自由という楽しさを
あなたは元々、よく知っている人だからです。
2015年中程から、
射手座の人は「大活躍」の時期に入っています。
大舞台に立って注目され、
褒められたり、かつてとはちがう人間関係を得て、
自分でも、自分自身の可能性に
新しい眼差しを向けるようになっているところではないかと思います。
そんな活躍のプロセスの中で、
「自分自身の足で立つ」
「自分だけの才覚でやり遂げる」
ことを、徐々に意識しつつあるのではないでしょうか。
これは、あなたが孤独になるという意味ではありません。
むしろ、他人にあれこれ手出しされることなく
「一人でやってみたいから、やらせて!」
というふうに、自分から選んだ状況なのかもしれません。
巡ってくるチャンスと一対一で向き合って、
勝利も失敗も自分だけのものになる
という場面は、なかなか得難いものです。
たいていの活動は、
いろんな人間関係と切っても切れない状態になっていて、
本当に活躍したのが誰だったのか、
いまいち、解らないようになってしまいます。
でも、この時期はそうではありません。
あくまであなた自身の力が、
単独で評価されるような場面が増えていくと思います。
あなたの持つ力や存在感が
それによって新たに評価され、
これからの活動の「土台」となっていきます。
私たちの多くは、一人で行動するときにも
ある種の「帰属意識」に守られています。
何らかの集団に所属しているとか、
ある地域をルーツとしている、など、
自分を包み込むような条件を
アイデンティティの一部として、
自分を支えているところがあるものだと思います。
2016年は、そのような
「帰属意識による守り」が揺らいだり、
あやふやに感じられたりするかもしれません。
このことは、「一人で活躍する」ことを
ハッキリとジャマするものではないのですが、
時に、不安が募ることもあるかもしれません。
根を張っていたはずの大地が
ぐずぐずと泥のようにやわらかくなり、
はたして自分を支えてくれているのかどうか
わからなくなってしまう
という状態は、
誰にとっても不安なものです。
生涯を冒険に捧げているような人も少なくない射手座の人であっても、
いざ、根っこが揺らぐようなことが起こると、
どこへ帰ればいいのだろう
という、心細さを感じるだろうと思います。
でも、これは決して、
あなたの土台が失われてしまう
ということを意味する現象ではありません。
そうではなく、その不安感は
もっと大きなスケールで
新しい土台を得つつある、ということの証です。
たとえば、一軒の家を「住処」とする人が、
行動範囲の広がりから、いくつかの住処を持ったり、
滅多に家に帰らないまま、
宿を転転とする生活を始めたとします。
たぶん、最初は不安な感じがするでしょう。
でも、そのような生活を積み重ねて行くにつれて
いつか、複数の住処や、行く先々の宿が、
目に見えないネットワークで結ばれていて
そのネットワークが自分の「家」だというふうに、
新しい実感が形成されていくのです。
その実感が育つに従って、
最初に「一軒の家」から離れたときのような不安感は
どんどん消えていくのです。
ダイナミックな、物理的条件に支配されない「場」を
しっかり自分を支えてくれる大地と感じ、
そこに根をはることができるようになるわけです。
2016年、射手座の人はそうしたシフトを経験している最中です。
上の例で言えば、
「一軒の家を離れて、転転とし始めた頃」
あたりに相当します。
ですから、ぐらぐら落ち着かない不安定さを
随所で感じることになるかもしれませんが
それは決して、居場所を失ってしまうというような
いやな兆候ではないのです。
いつになく激しい情熱につきうごかされるようにして
新しいことをスタートさせる人もいるでしょう。
眠っていたもう一人の自分自身を発見して
それを揺り起こす人もいるだろうと思います。
押しつけられたものに反抗し、
一旦すべてリリースした上で
改めて新しいものを選びなおすことを
試みる人もいるかもしれません。
この時期のあなたの眼差しには、
どこか、鋭く激しいものが含まれています。
穏やかで明るいあなたのなかに潜む
「野生」のようなものに火がつく瞬間も
少なくないだろうという気がします。