射手座の今年の占い

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チームに所属していた1プレイヤーが
選手を引退して、監督となったとします。
同じ世界に身を置いているにも関わらず、
今まで見えていたのとは全く違う風景が
そこにひろがっているだろうと思います。
チームの中でのポジションや立ち位置は、
その人の活動の、言わば「アイデンティティ」です。
すなわち、少なくともプレイヤーとしてのアイデンティティは
周囲との関係性において定義されている、
ということになります。

「監督」もまた、チームとの関係性においてなりたつ立場です。
ですが、プレイヤーとしてチームの中にいるときと、
監督として関わる時とでは
その関係性は大きく異なっているはずです。
そのもっとも大きな点は、おそらく
プレイヤーの場合は
「試合において自分の出せる力は、自分のものだけ」
ですが、監督になると
「試合において、すべてのプレイヤーの力を用いることができる」
ことではないかと思います。
自分だけの力しか使えない状態と比べると
その広がりは絶大です。
自分のパフォーマンスではないものを、
自ら「用いよう」とするとき、
そこには全く別の面白さと広がりが生じるわけです。

小説と演劇のあいだにも、
似たような関係があるように思います。
私が書いているのは「占い」ですが
ここに書いていることを勝手に語る「登場人物」が
生身の人間で目の前に立ったとしたら
それはもう、私が書いた文章という枠組みを遙かに超えた
無限の可能性を持つだろうという気がします。
すくなくとも、私が想定した「全体の文脈」には
おさまりっこありません。
小説には、全体を掌握しきっている神様がいますが
それが生身の人間によって演じられるお芝居になったとき、
もはや、全体を支配しきる存在はいなくなってしまうのです。


2017年は、射手座の人にとって
ちょうど、そんな変化が起こる時期ではないかと思います。
これまで「一人」でやっていたことを、
もっと多くのパワーを統括する立場として
発展させていけるのです。
あるいは逆に、チームのメンバーから監督になるときのように
あなたは少なからず、今までより「孤独」になるのかもしれません。
でも、それはもちろん、監督への就任とおなじで、
ぜんぜん「悪いこと」ではありません。
むしろ、今まで人から受けていた制約から自由になって、
とことん自分だけの発想で戦えるようになる
ということだろうと思うのです。

私たちは生まれた時から、
周囲の人々との関係性の中で
「自分」を定義します。
たとえば、戸籍がそうです。
戸籍には、住所と続柄、生まれた日付などが書かれます。
これは全て「関わり」です。
名前も、親族や親、誰か大人がつけてくれます。
生まれたとたんに自分の名前を自分で決めることはできません。
昔は、個人の名前であっても
その人固有の名前ではなく
親や祖父母の名前から文字をとったり、
誰かの名前をそのままつけたりと、
名前自体が「関係性」そのものだったこともあります。
アイデンティティは、そうした関係性と密接に繋がっていて
だからこそ、たとえば幼い養子を迎えた親御さんは
本人にそのことをいつ伝えるべきか、
少なからず悩みます。
また、自分の産みの親や育ての親がわからない、という人も
叶う限り自分のルーツを辿ろうとしますし
どうしてもわからない部分については
自分なりにそのことに関する「考え」を組み立て、
みずからその考えを「ひとつのこたえ」へと、
時間をかけて育ててゆくことになるようです。
子供から大人になっても、
関係性からアイデンティティを定義しようとする試みは
ずっと続いていきます。
ある種の肩書きや社会的立場に憧れたり、
自分の所属している組織に誇りを持ったり、
人に会ったら出身地や学歴を聞き出したりするのは
そういうことの一端なのだろうと思います。

チームの一員だった自分のアイデンティティと
監督としてのアイデンティティとは
かけはなれたものがあります。
チームの中での関係性から離れて
晴れて監督となったとき、
古いアイデンティティから脱皮して
新しい「自分」の感覚を作り直さなければなりません。
2017年の射手座の人々が経験するのは
そういうことなのではないかと思うのです。
古い関係性の中にあった「自分」と、
新しい関係性の中の「自分」は、
その像が、必ずしも一致しないのです。
これは、自分という人間の人間性が変わってしまう
ということではなく、言わば、
「眠っていた新しい自分が内側から出てきて、
それに、新しい名前をつける」
というようなことなのかもしれません。
たとえば、ごく幼い子どもにも、そういうことは起こります。
一人っ子だったところに弟や妹が生まれ、
「おにいちゃん・おねえちゃん」になる、
といったようなことです。
「おにいちゃん・おねえちゃん」である、という事実は
単に肩書きや呼び名が変わる、ということに止まらず
本人の心の中に、人柄の中に、
深く浸透して、アイデンティティの一角を成します。
関係性が変わると、アイデンティティが変化する
とは、つまりそういうことです。