射手座の今年の占い

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「自分の価値」というものは
なかなかわからないものです。
たとえば、
現代の日本社会では、残念ながら
「若さ」が何より貴ばれます。
なのに、
自分自身が若いときにはなぜか、
そのことがよくわかりません。
自分には何の価値もない、と感じ、
自信を持てずにいる若者はたくさんいます。
年齢をかさねてから突然
「世の中が若さを評価している」
ということに気づき、
あたふたする人も少なくありません。

一方、若さの価値をよくわかっている人が
若く美しいということを武器にしてきた結果、
その武器を手放せないまま時間が流れ、
いつしか「若く見える」ということにしがみついている
といった現象もよく起こります。
どこかで武器を換えればよかったのですが、
そのタイミングを見失ってしまうのです。
そもそも、
長いこと使い慣れた武器を手放すというのは、
ものすごくおそろしいことです。
それを手放した瞬間、
全く無防備になってしまいます。
人から攻撃される可能性が出てきますし、
一時的でも、とても弱い状態になります。
それを回避すべく、
ずっと同じ武器を使ってきた結果、
いつか、その武器が消え去ってしまうのです。
これは、とても辛いことです。

自分自身の価値。
考えれば考えるほど、
どうも辛い、苦しい言葉です。
人から高く評価され、選ばれたい、
という気持ちを、
誰もが持っています。
「誰がなんと言おうと、自信を持て」
といわれても、
なかなかそうはいきません。
褒められればふわりと自信が湧いてきますが
ひとたびけなされると、
その自信は針で突かれた水風船のように、
ぺしゃんと潰れてしまいます。
誰に何を言われても揺るがぬ自信を、
どうしたら持てるのか。
自分に価値があると、
どうしたら信じられるのか。
そのことに悩んでいる人も、
少なくないだろうと思います。

価値というものは非常に相対的で、
市場的な概念でもあります。
たとえば、就職活動において、
応募者が考える「自分の価値」と
採用側が考える「人の価値」とは
重ならないところもたくさんあるはずです。
若さも、資格も、技能も、
いわゆる「穏やかな人柄」
「アグレッシブな人柄」のようなものも、
ある場においては、
大いに市場価値があります。
ですがそれらの「価値」は、
「その人自身」とは、
本質的には、関係がありません。
採用担当者のAさんが、
面接の場で応募者Bさんを
「価値あり」と認めたとしても、
その立場を離れれば
「Bさんとは、友だちには、なれないなあ」
と思ったりするわけです。

人に認めてもらえる価値があれば、
自信が持てる。
私たちは、そう考えがちです。
でも、本当にそうでしょうか。
どうも、そうでもないように思われます。
一方
「自分で自分を愛することが
幸福になる唯一の道だ」
という説もあります。
ただ、どうしても自分で自分を好きになれない
という人は、少なくありません。
そうした人は、
幸せにはなれないのでしょうか。

なんだか辛いことばかり書いてしまいましたが、
2019年の射手座の世界は、
どちらかと言えばとても発展的で、
幸福を掴もうとする活力に溢れています。
私が言いたかったのは、
2019年、射手座の人々の多くが
「新しい自分の価値に気づく」であろう、
ということです。
たとえば、自分に自信を持てなかった人が
なんらかのかたちで、自信が持てるようになる、
というようなことです。
自分を過小評価していた人が、
正しい評価にたどり着いたり、
自分で自分を閉じ込めていた人が、
外に出られるようになったり、
といったことです。

この「自分の価値」には、
2種類あるように思います。
ひとつは、冒頭から述べたような、
若さや美しさのような、
市場的な価値、相対的な価値です。
こうした価値は、
「これこそが自分のアイデンティティだ」
と思ってしまうと非常に危険なのですが、
「今なら使える、有効な武器だ」
というふうに、
「自分」という存在から少し切り離して、
身につけた道具のように考えると、
けっこう、使い勝手が良いのです。
よく「宝の持ち腐れ」ということが言われますが、
「持ち腐れ」にならないよう、
今のうちに使っておける「宝」があるのです。
たとえば、学力を生かして資格を取ったり、
美しさを生かしてモデルになったり、
運動神経を生かしてアスリートになったり、
ということは、
よくある「宝の使い方」です。
他にも、優しさとか、
几帳面であるとか、
細かいことによく気づくとか、
数字に強いとか、
何とも言えない雰囲気を醸し出しているとか、
さまざまな「価値」があると思います。
「若さ」同様、
自分で持っているそうした「価値」には、
なかなか気づきにくいものなのですが、
それに気づいて、
それを冷静に、
あくまで「道具」「一時的な武器」として使うことができる時、
と言えるのではないかと思います。

もうひとつは、
もっと大切なことです。
それは、一時的なものでも、
相対的なスペックでもない、
まったく別の「価値」です。
もとい
これを「価値」と呼ぶのは、
あまり適切ではないかもしれません。
他の呼び方をするならば、
消えない自信のみなもととなるようなもの、
情熱、魂、生き方、信念、
あるいは「愛」と呼ばれるようなものです。
あなた自身を内側から輝かせている、
その特別なエネルギーの存在に、
自ら気づくことができる年だと思うのです。

「これこそが自分の使命だ!」と
心から思えることに出会う人もいれば、
今の自分にふさわしい社会的立場にたどり着く人もいるでしょう。
自分に合った役割を得る人、
一緒に闘える友に出会う人、
自分の人生はこの人のために捧げたいと思えるような、
特別な相手に出会う人もいるかもしれません。
発見のかたちは、様々ですし、
見出すものも、それぞれ違うでしょう。
いずれにせよ、
2019年の射手座の人々は
「自分は、これだ」
と思えるような何かを
掴めるのではないかと思うのです。

この「自分は、これだ」と思えるものというのは、
人から褒められたり、
市場的に評価されたりする種類のものではありません。
ただ、結果的にそういうことにつながる
という可能性はあるでしょう。
終生変わることのない不思議な人間的魅力や、
決定的なセンスの良さによって、
社会的な使命を帯びる人もいます。
ただ、そのこと自体は、
あまり重要ではないのです。
大事なのは、
「自分は、これだ」
という、その感覚です。
第三者に説明もできない、
履歴書にも書けないこの「手応え」のようなものを、
2019年のあなたはどこかで、
掴むことができるのではないかと思うのです。