12星座について

天秤座

生活空間
という言葉があります。
こう、ぱっと出てきますと、
ついインテリアとか居住空間とか家具だとか電化製品だとか
なんておもいうかべちゃうのですが、
そういう意味でなく使う場合があります。

私が子供の頃大好きだった「日本むかし話」、
家政婦、じゃなくて市原悦子がナレーションをするアニメ番組があります。
今もやってるのか?最近みませんが、
あれは、オムニバスというか、毎回違う地方の違う話をします。
読み切り短編集
みたいに、すべて内容は独立しています。
でもどういうわけか、
家政婦、じゃなくて市原悦子のおかげなのか、
なんとなーくみんな、同じようなイメージをもっていませんか。
たとえば、たいがいのお話は、
だいたいこんなふうな世界をイメージさせます。
村があってそこに人が住んでいる。
その周りを山が囲っていて(一方が海に開けていることもある)
山の向こうには鬼が住んでいたり、何か不思議な世界があったりして、
さらにその向こう、遠く離れた場所に「都」がある。
空の向こうとか海の彼方とかに仏様や神様がいて、
遠くから旅人がやってきたりもときどき、する。
遠くから来る人は、なにか不思議なことを言ったりやったりする。
頭のなかには、だいたいこんなマップが描かれていて、
様々に異なった「お話」も、ほぼこの舞台の上で展開する気がします。
などと。
いわゆる、こんなマッピングのことを、
生活空間というらしい。
もっと言えばですよ、
現在天動説をかたくなに信じている人は少ないと思うのですが、
星じゃなくて地球のほうが動いているってわかっていたって、
日は「のぼる」「しずむ」って言いますよね。
天動説も、あれは一種の「生活空間」なのですね。
星占いにもそんなことがいえるかもしれません。星占いは、天動説だから。

空間、世界
といっても、上記のようなのは、
人の頭の中にある、単なるイメージです。
実際は、
山の向こうに鬼が居たりすることはマレだとおもわれますし、
海の向こうにはアメリカがあったり中国や韓国や台湾があったりするし、
旅人もたいていはただの人かちょっと変わってるけどまあ自分と大差ない人だし、
実際、完全に山に囲まれた徹底的に盆地の集落なんかあんまりないし、
要するに、なにかこう、
生活するために必要な情報をまとめて自分仕様に作り上げた
イメージの世界
なわけですね。
程度の差こそあれ、
それがわかっている現代人も、
実は同じようなことをやっているわけです。
生きていくためには情報を整理することが必要になるからです。
直接関係のない戦争は、たいがい、海の向こうで始まっています。

「自分自身」
「そのまわりの世界」
という以上のような枠組みは、
ある意味、徹底的に個人のものです。
その人の中だけで意味を持つものです。
これを他者と共有している場合は、それを「共同幻想」っつったりするらしいけど、
ほかの共同体に居るヒトは、違う世界をイメージしていることも当然、あり得る。
こっちは向こうを赤鬼だとおもっていて、
向こうはむこうでこっちを青鬼だとおもっていることもありうるわけです。
でも。
長いことそれやってると、
どこかでふと、
やつらも自分たちと同じような人間であって、
かつ
違った「生活空間」に生息しているのではなかろーか
と気がつく、らしい。
完全にそのイメージの「生活空間」が解体される訳ではないけれど、
いろんなレベルに置いて、
あいつは赤鬼じゃなくて、もっとなんか別のもんかもしれん
というのを、より実情に即したカタチで認識する場合が、
出てくる。らしい。
以下、はなはだ乱暴でありますが、
私が思うに、この
「気づいた人たち」
が、天秤座なのではなかろうかとおもうのです。

他人がいる。
この「他者」ということが、
天秤座の主要なテーマです。
自分という個人があり、
それと同様に、他人という個人がある。
自分が自分をこんなに大事でこんなにきずつきたくなくて痛くてかゆくて、
なのと同じように、
他人もその人自身、自分を一番気にしている。
どんなに「世のため人のため」とか言ってみても、
動いているのは自分だし、自分がケガしたらそれがもっとも大問題ですわな。
そのことが他人にとっても同じように経験されている。
あるいは、
同じようには経験されていないかもしれない!
そのことにはたと気づいてどうにかしなくてはならなくなっているのが、
天秤座の概況ではないかと思います。

この状況に相対して、
天秤座の人々は、様々なことを考えなくてはなりません。
「世の中は個々人でできている」
ということがわかっているので、
既製品の信念や世界観を鵜呑みに信じてしまうことはほとんどありません。
でもどうにかして、なんとかしなくてはなりません。
天秤座は、子供の頃の「自分中心世界」から目覚めた、
初めて社会に飛び出した人のようなしくみをもっています。
この見知らぬ人たちの中で、
この自分とは違った「常識」をそれぞれに持つ人たちの中で、
なんとかいきていかなければなりません。
どうしたらよいのか。

はっきりもうしまして、このテーマへのアプローチは、
一口に天秤座と言っても、実に多様です。
ものすごく優柔不断な天秤座もいますし、
ものすごく頑固な天秤座もいます。
ものすごくきっぱりした天秤座もいますし、
ものすごくあいまいな天秤座もいます。
信念や価値観が絶対に変わらない天秤座もいれば、
信念や価値観を固定しないことに命がけな天秤座もいるのです。
でも、
この人たちに共通なのは、
自分と他人はちがっているのだ
ということがその考え方のスタートラインにあるということのようです。
まずお互いに独立した固体としてひとつ線を引き、
その上で、距離を測り、性質を探り、ほかの関係を見定め、
自分の態度を決定します。
その「決定する」ときの基準や方法が人によって様々なだけで、
基本的な
「他者と自分との位置関係を見極める」
という姿勢は、天秤座の中に一致しているように思えます。

ほかの星座は、この点、違ったアプローチをします。
他者と同化しようとしたり、
あまり他者のことは気にしてなかったり、
十把一絡げだったり、自分と他人の境目があいまいだったり、
好き嫌いで決めたり、ヒエラルキーで判断したり、
とにかく、
自分と同じくらい他人も自分である
ということが、あまりはっきりしていないのです。
頭ではわかっていても、
行動パターンや心の仕組みにはそれがあまりくみこまれていなかったりするのです。
天秤座はそうではありません。
天秤座は、この点、ある種のあきらめを体の中に持っています。
ひとつの絶望であり、
ゼロであり、
生まれ変わりであり、
スタートラインなのです。
家の中にいる間は、自分は限りなく大きな意味をもった存在です。
太陽系の中の太陽です。
でもひとたび外に出ると、
太陽のような恒星は銀河系に文字通り星の数ほど存在し、
自分より遙かに巨大な星もあれば、
さらにほかの銀河さえ、たくさんあることがわかります。
これは、おそろしいことです。

天秤座が持っているパワーは、ですから、非常に強力です。
この激しい絶望と、戦えるようになっているのです。
自分とは異なった他者への尊敬や許容、
接触してお互いを壊さずに何かを得ること与えること、
そういう柳のようにしなやかでかつタフな活動を実現するための、
優雅で穏やかな強さを与えられています。
相手が自分と同じように恒星であることをわかっているから、
比較対照し判断し理解しようとはしても、
飲み込もうとか支配しようとか壊してしまおうとか自分自身にしてしまおうとか
そういう不当な欲求を持たないのです。
自分は自分であり、
他者は他者です。
己を高めることが他人を見下すことにはならないし、
他人が高い位置にあることも、己を低くすることにはならないのです。
ともあれ、この境地に至るには、
天秤座だっていろんな試練を体験します。
でも、最終的にはかならずこの場所にたどり着ける才能を持っています。
自分と他人
このことがよく見えるために、
自分を洗練させていくことも、天秤座は上手です。
自分のことで頭が一杯の人は、
自分の姿は逆に、よく見えないモノです。
でも、天秤座はそうではなく、
他人と自分が同じようなサイズで見えるので、
自分の中のバランスの悪さも公平に判断できますから、
可能な限り修正し、調整し、もっとも均整のとれた状態にもっていけるのです。
もちろん、天秤の支柱は、人によってさまざまです。
でも、支柱はさまざまであっても、左右のアームの長さは完璧に等しく調律できる。
これが天秤座の才能なのです。

一方、そんな天秤の支柱を作り上げるために、
天秤座は生半可でない苦労を体験することがあります。
他者の存在と自分の存在の関係は、
乗り越えることがとても難しい問題です。
一生涯それを無視して、
信念や組織といった、閉じた「生活空間」の中で生きていく人も大変多いですし、
そういう人の方が精神的にはずっと健康で、悩みがなかったりします。
天秤座の中にも、
大きすぎるテーマにおののいて、
他者と自分
という課題を
完全無視
する人がいるくらいです。
その徹底ぶりは、実は、
無視できないことに対する強烈な補償の理論武装に由来しているので、
優柔不断で社交的なはずの人なのにどうしてあんなにかたくななのかしら
と思わされてしまったりするのです。
でもそういうパターンの天秤座はしばしば、
猫の首の皮のような、
ここをつかめばいいんですよ、オイラ
という部分を、社会的に完全公開しています。
本質に迫らなければ、内面にコミットしなければ、
そういう天秤座は、たいへんつきあいやすいひとだったりするのです。
逆に、
支柱を刷新し続ける
という実に困難な道をえらぶとき、
天秤座の世界と人間的可能性は、無限にひろがっていきます。

相手という他者を、
発見し認識し観察し判断する
特技をもつ天秤座ですので、
愛を欲するときは非常に強烈です。
他者にきちんと向き合おうとしますし、
境界線がきっちりしている分、パートナーシップは強く結ばれます。
契約関係のように、求める要件もはっきりしていることがおおく、
それが満たされないと、激しい失望と悲しみにうちのめされ、
自分が生きている価値がないような不安にさいなまれるみたいです。
自己肥大や自意識過剰やファンタジーの権化の方が、
こういうときは立ち直りも早いし、ラクです。
でも、他者が他者として厳然と存在することを無意識のうちに知っている天秤座は、
得られなかった愛や好意のまえでは、
救われがたい絶望を味わわなければなりません。
しかし。
時間をかけて、正しい認識の元、
無数の他者というこの広い世界の中にもう一度再生するのもまた、
天秤座の能力だったりします。
自分にはどうにもならない「空間」が他者の中に存在し、
その存在は無限で多様であるわけですから、
自分自身が生きていけるであろう「世界」もまた、
どこかに必ず存在するということを、正しく理解できるからです。
そして、ひとつの関係において深く傷ついた天秤座が再び立ち上がるとき、
その支柱は新しくさらに美しいカタチに、鍛え直されています。

バランス感覚に富み、センスが良くて、社交的で、明るくて、ちょっとおひとよし
といわれる天秤座ですが、
実際は、センスなんかないし偏屈で人付き合いがへたくそでぜんぜん自信がない
と自己評価している方も多いのです。
それは、上記のように、
「他者」
を嘘のすくないカタチで認識する能力を授かってしまっているからだと思います。
そんな天秤座が、
この「他者」への濁り無い認識とどう対峙していくか
を真剣に模索しているとき、
その姿は実に魅力的で、個性にあふれます。
これほど誠実で頼りになる存在はなくなります。
だれもが、
自分をそのままに理解したうえで、心から愛してくれないだろうか
と願っているわけです。
この前半部分を生まれながらの能力として授かっている天秤座。
おかしな考えかもしれませんが、
その存在は逆に、他人にしてみれば、
魅力あふれる「人間以上の何か」にみえてしまうことも
時々、あったりするのです。

☆☆tips

天秤座の鍵となるフレーズは、「Ibalance」です。
天秤座に太陽や月などの重要な☆を持っていたり、
あるいは、ほかの☆がたくさん集まったりしているひとは、
腰から足にかけてのラインが美しい人が多く、全体的にまとまりのある、
「意図を持ったスタイル」という印象を与えます。
雰囲気は一見クールな感じですが、洗練されていて、気遣いがみえやすく、
お互いに適正な距離をとろうという知的で友好的な気分がつたわってきます。
天秤座の支配☆は、金星です。
金星が調和的な配置になっているときは、
天秤座は自分の調整力がうまくはたらいて、人々の良いところが良いように働いていることを、満足して目にすることができるでしょう。

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