蠍座
蠍座は、
そうよわったっしは蠍座の女
という歌で有名な、ねちっこさを強調される星座です。
一般に。
でも、星占いの本をひらくと、あまりそういうことは書いてない。
しつこい
というより、
深い、徹底的、洞察
等というコトバが多く使われています。
なにかこう、どんどん奥地へ分け入って探る
というイメージが出てきますね。
冒頭に述べました
「12星座で人生一まわり説」
で考えますと、
天秤座で「他者」を発見し、つきあっていく中で、
こんどは自然に相手の内面に触れてみるのが蠍座です。
他者
は、おそろしい存在です。
たとえば、解剖。
人体解剖、って、怖くないですか。
なぜコワイか、というと、
それは自分とおなじような肉体を扱っているからだと思います。
とりもつならバクバク食べられるのに、
同じ人間のモツだったら、見るのもイヤ、というか、
そもそもイヤだとかイイとかいう範疇を乗り越えている。
これをもって、
タブー
というのですが、
なんというか、タブーにされているもののほとんどは、
自分もそれを持っていたり、深く関わっていたりするけれども見たくないモノ
であるようですね。
でも、スプラッタ映画なんかは、どうでしょう。
あれは、見たがる人、いますね。
コワイモノ見たさ。
死
ということはタブーの一種で、どんな社会でもとても気を遣って
丁寧に丁寧に隠蔽していることのひとつです。
でも、人は、どこかで異様にそれを「見たがっている」。
見てはいけない。でも、見たい。
なぜ見たいか。
それは、それらがすべて、自分自身だからなのかもしれません。
生活していく上では、じゃまになる。
けれども、それがなければ生命は成り立たない。
そういうキワキワのなにか。
人間は、自分の中にイキナリそれを見いだすことはないのですが、
他人の死
他人の体
他人の血肉
にそれを見いだすことができます。
自分の中にひそむ死、それを、他者の死の形で見いだすのです。
死体を見るとき、人はたまに、恍惚となります。
他者の体を愛するとき、人はほんとうは、
自分のなかにある何かを見ているのかもしれません。
自分以上に自分であるなにか。
自分の一部として世界に広がってしまったように感じられる何か。
蠍座の持っているしくみは、
容易に説明できないような、深淵で深刻で具体的なものであるようです。
蠍座はしばしば、研究者向きであるといわれます。
ひとつのことをどんどんつっこんでいく才能があるとされています。
また、蠍座の愛情は深く濃く、容易にブレないといわれています。
さらに、蠍座はかなり官能的、というか、性的な執着の強い星座だとも言われます。
これはほんとうなのでしょうか。
ある意味では、これらは、同じしくみを内蔵しているようにおもえます。
ようは、
「自分」の外部に存在し、
かつ、
なにか具体的なひとつのことに、
集中してずばっと分け入っていく態度であるということです。
対象は、人でなくても良いのです。
研究課題でもよいわけです。
経済でも、化学でも、なんでもよし。
つきつめて、その内包する奥深い深淵をたどります。
蠍座は、どんなちいさなものにも、どんな単体にも、
その内面に大きな宇宙が全く違う位相でどーんと存在していることを、
あたりまえみたいに自然に知っている星座です。
メン・イン・ブラック
という映画の中で、
猫の首輪に鈴みたいにぶらさがったまるいちいさなののなかに、
この宇宙
が入ってしまっていましたね。
蠍座は、ああいうことがどんな現象、どんなテーマ、どんな人格の中にも存在していることを、
知っている
星座だという気がします。
蠍座は、水の星座ですが、
固着質だと言われています。
水は変化しやすいのですが、
蠍座は容易に変化しないカテゴリに属している星座です。
確信に満ち、その状態で常に安定しようとする性向をもちあわせています。
苦労人がおおいのですが、
しばしば、その苦労、自分で製造していることもあるみたいです。
人の心の動きに敏感で、
表情から読みとると言うより、
直接相手の頭の中に手を突っ込んでなにかをつかみ取る
というような、鋭い直線的洞察をすることがあります。
どうしてわかったんだかわからないけどわかった
というわかりかたをする人が多いようで、
おまけに無口なので、
人に誤解されることも多いかもしれませんね。
相手の本音に触れやすいので、
傷つくときは容赦なく傷ついてしまいます。
相手の内面に直接さわることができるのですが、
それは同時に、自分の内面も相手の中でさらけだしてしまっているので、
その関係のなかでは完全に無防備になるのです。
やわらかい内蔵に直接触れあうような関係を作り出すために、
相手が無神経にちょっとでも爪を立てれば、
皮膚も何もまもってくれないむき出しの心臓や臓物が裂けるように、
激しく痛み、致命的な苦しみを受ける人も多いのです。
蠍座は、自分の感じたことを信じます。
洞察するチカラがとても強いので、
理論や筋道、常識や定説といったものがあまり通用しません。
で、その洞察が真実に近いものであれば、
大きな実行力を発揮することができるのですが、
なにせ水の星座ですから、
ちょっと心がゆれたときにまちがった「洞察」を掴んでしまうと、
これはちょっと、たちの悪いことになります。
ジョナサン・ケイナーは、蠍座に月があるのは、いっちゃわるいが
「パラノイア」です
といってましたが、
まあそんなことになるのです。
もっと日常語でいいますと、
おもいこみがつよい
自分の思いこんだことに支配される
人になってしまうのです。
独占欲も強いのが特徴です。
自分自身と相手を混ぜてしまうような強烈なエネルギーを持っているわけなので、
相手が自分に適当にパワーを割いてくれているなんてゆるせません。
蠍座のひとにとって、
研究対象や、仕事や、恋人や、パートナーなどは、
すべて自分自身です。
自分の一部として、他者につっこんでいっているのです。
自分自身を、相手や対象の中でばーっとひろげて展開しているようなモノです。
ですから、
その自分自身はぜったいに自分を裏切ったり、よそ見したりしないのです。
そんなことがあっては、
自分の命が危ない。
そんな風に感じてしまうのが、蠍座の心のような気がします。
ナルシストな蠍座っていません。
蠍座はいつも外に目を向けて、
自分以外の人間や外界の事物を、熱愛しているように見えます。
でもそれは、
たとえば牡羊座とか獅子座とかの自己愛にちょっと似ています。
他者や研究対象、仕事など、
蠍座は自分がのめり込める相手のなかに、
何よりも自分の生命を見いだし、
そこを作業場か溶媒でもあるみたいにして、
自分自身を変容させたり、成長させたりしているようです。
しかし。
人間たちは徹底的に孤独です。
瞬間的に融合を信じられるような光りを感じても、
また気がつけば、閉じた自分だけの孤独にたちかえっています。
蠍座はそういう、
強い期待の裏の激しく継続的な絶望を知っています。
知りながらも、
それでも蠍座は、あらゆる瞬間に永遠を望んでいます。
離別や関係の解消は、蠍座に深い傷をあたえます。
でも、蠍座は、その傷や絶望から
見事に復活する星座でもあるのです。
他者と融合する可能性。
これが、観念論ではなく具体的なかたちで
「ある」
と考えるのが、蠍座のしくみだとおもいます。
そして、どんなに傷ついても、時間が経てばかならずたちなおり、
その可能性をあくなき情熱で追求し続けていく、
これが、蠍座の生き方だと思います。
☆☆tips
蠍座の鍵となるフレーズは、「Idesire」です。
蠍座に太陽や月などの重要な☆を持っていたり、
あるいは、ほかの☆がたくさん集まったりしているひとは、
男性ホルモンや女性ホルモンの分泌が活発なことが多く、
全体に「濃い」イメージ、
あるいは不思議なチカラで人を惹きつけるなにかを持っています。
雰囲気は、ちょっと傍若無人なくらいに何かに興味を持っていて、
それは相対している誰かだったり、なにか夢中になっていることだったりします。
意識が何かに集中していることが多いので、ある種、態度が安定的に見えます。
蠍座の支配☆は、冥王星です。
冥王星の進行速度はとてもゆっくりしていて、
ひとつの星座を通過するのに、12年から32年かかります。
冥王星が星座をまたぐとき、蠍座の人々はとても大きな人生の変動にみまわれることになるようです。