今年の占い

2025年

今の時代、人々はなんでも自由に探し求めます。仕事も、パートナーも、住処も、着るものも食べるものも、聴く音楽も見る映像も、「自分に合ったもの」「自分の好きなもの」を探して選び取ることができる、ということになっています。

そんな「自由に探す」行為も、「選択する」行為で終了します。街へ出てウィンドウ・ショッピングをしたり、ネットショップであらゆる商品を吟味したりするのはとても自由な楽しみですが、「これ」と決めて手に入れた瞬間、自由は消え失せます。他の選択肢と自分の繋がりはなくなり、自由は終わります。

現実には、仕事がなかなか決まらない状態とか、パートナーが見つからない状態を「自由だ!」と楽しむ人はそれほど多くありません。もちろん、裕福だったり、たくさんの仲間や友達に囲まれたりしていて、「それほど困っていない」場合は、そうでもないのかもしれません。

でも、「なんでも自由に探して、見つけられる」「まだ決まっていない」状態を、むしろ「不自由で、牢獄のようだ」と感じる人の方が、多分多いのではないかと思います。焦りと不安の中で、なんとか「選び取ろう」と奔走し、もがきまわります。

2025年、山羊座の人々は「選択する」「選び取る」「たくさんの選択肢の中から、『これ!』と決める」時間に入るようです。モラトリアムから脱する人もいれば、重要な契約を交わす人もいるでしょう。

結婚する人、住居を買う人もいるだろうと思います。「これ」と決めたら、手放すのは簡単ではありません。もう迷う余地はありません。

何かを選び取る時、私たちは未来をほとんど見通せません。どんなに吟味して選んだものでも、何かしら欠点があり、問題が起こります。使ってみて、つき合ってみて、はじめてそのことがわかります。全てを知り尽くして選ぶ、ということはほぼ、不可能です。

さらに言えば「これを選ぼう」と思っても、叶わないことがあります。就職の面接で「御社が第一希望です!」と言っても、簡単に落とされたりします。

パートナーとの出会いにしろ、不動産の取得にしろ、自分が選んでいるのか、それとも相手から選ばれているのか、境目は曖昧です。どんなに求めても、応じてもらえなければ、選んだことになりません。

自分が自由に選んだようで、実は、世界から運命のように「選ばれ」て、人生ができあがっているのではないか、と感じられることもあります。実際には、自分がどれくらい「自由」に生きているのか、ほとんどわかりません。

2025年からの山羊座の人々はそういう意味で、「選ばれる時間」に入る、と言えなくもありません。もちろん、漫然と無為の状態でいて「選ばれる」ことはないかもしれません。自ら選びにいってはじめて、「選ばれる」舞台に立てます。

選びたい時に選びたいものを、選びたいように選ぶ。もしそうできるなら、それは奇跡のようなことだと思います。現実には、選択肢がひとつしかなかったり、100ある選択肢のうちのどれも心にしっくりこなかったり、選びたくもない時に選ばされたり、選ぼうと思ったらもう何もなかったりします。

ゆえに2025年からの山羊座の「選ぶ」プロセスには、奇跡のような力が働いている、と言えそうです。

選び取ったら、そこから新しい現実が始まります。目の前のものと向き合い、簡単には他のものと変えられない、という状況を生きることになります。

現代ではたとえば様々な「サブスクリプション」のように、「選んだら他のものには、簡単に切り替えられない」という条件が、どんどん解除されている傾向も見られます。それでも尚、選んだらある程度以上に「向き合うしかない」ことは残されています。

人間関係や、職場や、生きていく場所や、愛の結びつきなどは、そう簡単にコロコロ変えられません。

「そう簡単に変えられない」選択をするのは、どうしてなのでしょうか。人間がなぜそこに向かっていくのか、ということは、多くの謎を含んでいます。多分、選んだものと共に生きていくことでしか、その意義はわかりません。

やってみるまで本当には意義がわからないのに、それでも、やってみる。それが、多くの人生の選択なのです。よく考えると、実に奇妙です。

選択をし、その選択肢の世界に踏み込んでいくことは、とても神秘的なことだと思います。

選んでいる最中の「自由」よりも、多分ずっとスリリングで、刺激的で、豊かな世界がそこに広がっています。


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