2025年
たとえば旅行では、スーツケースにあれこれ詰め込んで出かけます。帰りにはお土産も入るから、余裕を持とう! と思っても、あれもいるかも、これもあると便利、とやっているうちに、出かける前からパンパンになってしまうこともあります。
いざ出かけていって、旅先で活動するうち「これを持ってきてよかった!」と思えることもあれば、邪魔になって、旅先で捨ててきてしまうものもあります。これはいらなかった、あれを持ってくればよかった、と、泡のように小さな後悔、反省が浮かびます。
実際に現地に行ってみるまでは決してわからない「必要なもの」。どんなに旅慣れた人にも、そうしたシーンがあるのではないかと思います。
2025年の前半、牡牛座の人々はスーツケースにアイテムをぎっしり詰め込みます。
そして年の半ば以降、旅に出かけます。すると、旅先で「これもあれも、本当はいらなかった」「本当に必要なものは、これだった」ということがわかります。そこで、盛大に荷物の内容を変えることになります。
と、これはもちろん、比喩です。2025年は牡牛座の人々にとって、「ニーズ」「欲しいもの」が激変し始める年なのです。年の前半は比較的「いつも通り」の価値観の延長線上で動けますが、半ば以降は「何が欲しいか」「何が必要か」の中身も量も、様変わりします。できるだけ荷物が軽い方が、行動しやすくなります。
一方、何も持っていなければ、人間はとても弱い状態になります。お金やものを持っている人が「強く」、持たざるものは「弱い」とされる世の中です。急いで逃げて命を守るような時は、何も持たない人が最強ですが、リゾートに遊びに出かけるような時は、お金やものを持っている方が、受け入れられやすくなります。
身軽な旅と大荷物の旅、「どちらかが正しい」ということではありません。ひとえに、自分がどんな世界に身を置き、どんな生き方をしたいか、にかかっています。
2018年から此の方、牡牛座の人々の生き方はガラッと変わりました。変化を遂げた自分として、今、何が必要なのか。カバンの中に、口座の中に、何がどのくらい入っていればいいのか。2025年はそれを、色々な場面で問われることになりそうです。
「他の人と同じものを持っていればよい」という発想は、ここでは全く役に立ちません。
平均値も、中央値も、常識も、ほとんど参考になりません。他の人の生き方と、自分の生き方は、別のものだからです。
年齢を重ねて定年を迎え、仕事から引退したり、「隠居」したりした時、「何をすればいいかわからない」状態に陥る人が少なくない、と聞きました。たとえば2025年、そんな未来に危機感を抱き、「何をすればいいか」を探し始める牡牛座の人もいるだろうと思います。これも上記のことに通じます。
自分の人生に本当にフィットする活動、趣味、目的は、自分で見つけるしかありません。自分が変化したらその内容も変わりますし、他人の動向はあまり参考になりません。
今までしたことのない買い物をし、行ったことのない場所にひとりで出かけ、「自分の世界」を作れます。それは「みんなで一緒に」やることではなさそうです。もちろん、これは2025年の牡牛座の人々が孤独になるとか、寂しくなるとかいうことではありません。
たとえば、詩を書く時、人はひとりになります。手紙を書く時も、ひとりになります。ランニングをする時、勉強する時、本を読む時、頭の中が自分ひとりになります。
周りが人混みでも、混み合ったカフェでも、自分だけの時空に包まれます。そういう「ひとりの時間」でだけ、「自分の世界」を作れます。そんなふうに、2025年の牡牛座の人々は「自分の世界」を作る時間に入ります。