2024年
「上から目線」は今の時代、とても嫌われます。人を見下す眼差し、人を支配しようとする眼差し、人をコントロールしようとする眼差しを、そこに感じるからだろうと思います。
誰だって見下されたくありません。支配されたり、コントロールされたりしたくありません。今はみんながフラットで、対等で、公平なのが「心地いい」とされています。
ですがその一方で、「フラット」なだけではうまくいかないシチュエーションもあります。たとえば、赤ん坊や子供を前にしたら、大人は自分が相手より背が高く、強者であることを自覚しなければなりません。
他者に対して「自分は強者だ」という意識を持つ時、相手への責任が生まれ、何かを与えなければという自覚が生じます。自分の方が強い、と思わなければ、人に与えよう、という意志も生まれにくいものだろうと思います。
明らかに人より多くを有していながら、他者に何も与えようとしない人々は、しばしば「自分も弱いのだ」「自分も困っているのだ」と言います。自分自身の強さ、強者である自分という意識がないのです。
何かを成し遂げようとする時、他者に何かを与えようとする時、自ら進んで行動しようとする時、人は胸の中に「自分は強者だ」というイメージを抱いています。
とはいえそれを表に出すことは、傲慢で、不遜で、思い上がっていて、無礼だと受け取られかねないので、多くの人はそれを隠しています。「上から目線」と非難されかねないので、それを隠しています。
自らが強者だと自覚することは、怖いことです。強者ならば、何かをなさねばならないからです。自分を高みに置けば、下にあるものに力を与えずにはいられません。
人は自らを他者に与えて生きていきます。「私は誰からも必要とされていない」という言葉を聞いて、容易に「人生への絶望を表現している」と理解できます。必要とされ、自分を与えることは、人生の最大の喜びです。受け取ることよりも与え、受け取ってもらうことの方が、喜びは大きいのです。
ですがその一方で、自分を誤ったやり方で他者に与え続け、自分自身を見失い、我を失ってしまう人もいます。受け取ってもらえることの嬉しさのあまり、与えてはいけないものまで与え尽くし、生きるべき自己を取り戻せなくなる人もいます。
自分を失わずに、自分を与えることができるのが、本当に他者を愛することのできる人です。
2024年の獅子座の世界では、そのことにスポットライトが当たります。
自分に備わっている力を、密かにでも自覚し、その力をどのように他者に与えられるのか、それを考え始めることになるのです。
これ以降、あなたは誰かに、あるいはなんらかの集団から、心底必要とされることになるでしょう。その人、またはその人たちに自らの力を与えることで、あなた自身も深い喜びに満たされるでしょう。
でも、決してそこで自分自身を失ってしまうわけにはいきません。これは「バランス良く」といった考え方では、決して解決しない命題です。時間や労力の配分、まんべんなく目を配る、といった方針では、達成できないのです。
問題の根本は、心の奥底にあります。そこは、秤や物差しが機能しない世界です。