今年の占い

2024年

2024年、あなたはなんらかの「離脱」「脱出」をはかります。何から「脱出」するかは、人それぞれです。

たとえばある種の癒着、依存、束縛、トリモチが絡みつくようなどうしようもない人間関係、拭こうが絞ろうがどうしても乾かない情念、欲望の底なし沼、恐怖心や不安、嫉妬や劣等感、優越感や強過ぎる自意識、脆いプライドや臆病なシニスム等々、誰もが様々な心の力に取り巻かれ、包み込まれ、先に進む意志を奪われます。

2024年にあなたが脱出するのは、そういった思いや、それらが含まれた長い間の状況なのかもしれません。あるいはもっと別の、環境や、関係性や、力関係、生活を構成する条件なのかもしれません。

この「離脱・脱出」を可能にするのは、あなたの胸にある、自由への願いです。あるいは、個人としての愛、望みです。自分自身の都合によって、あなたはその力学、その場から脱出をはかるのです。

こうした場合、「みんなの都合」をある程度、無視しなければなりません。必要としてくれているその手を、「とらない」という判断をしなければなりません。

これは、極端な言い方をするなら、「奴隷でいるかどうかの選択」です。もちろん、自分自身の判断で「奴隷のままいる」ことも選択できます。ですが、もしかすると「自分が奴隷でいる」つもりで、実は「相手を隷属させている」ということもあるのかもしれません。

隷属にも、作用と反作用があります。縛る方も相手に縛り付けられているのです。あなたが「離脱・脱出」をはかった時、もしかすると、より強い解放感を抱くのは、あなたを縛っていたはずの、相手の方なのかもしれません。

人間は理性の生き物だ、と考えられています。ですが、実際にやっていることは、いかにも非合理です。わざわざ傷つくとわかっている恋をしたり、危険に身を曝す旅に出たりします。禁止されていることをやり、守ってくれる手を振りほどいて飛び出していきます。

ルールを破ったり、他人を傷つけたりするのは、もちろん、悪いことです。「絶対にやってはいけないこと」は、世の中に、たくさん存在します。ただ、それ以外の領域において、なんらかのリスクをとったり、不条理な衝動に身を任せたりすることを完全に拒んで生きていると、人間は「生きている」という実感を抱きにくいようです。

わざわざジェットコースターに乗ったり、バンジージャンプに挑んだりするのは、「生きている!」という実感を得るためではないでしょうか。サウナに入ったり、水風呂に飛び込んだりすることを好む人がたくさんいるのは、「血行が良くなる」といった健全な理由だけではないはずです。

完全に守られた安全な場所で倦み疲れ、自分と外界の境界がわからないような状態に置かれ続けると、人は生の実感を失い、やがて、心を腐らせてゆくのかもしれません。そうしたぬるい状況から脱出、離脱するための試みを、人間は自然に、選択することになるものなのかもしれません。

「操り人形は、自分の操り糸を愛する限り自由である」(*)。私たちは多分、様々な糸に操られている操り人形である、と考えることもできます。糸の指令を気に入って、受け入れられていれば、私たちは「自分は自由だ」と感じます。自分の境遇や主人に満足している「奴隷」ならばおそらく、そうした「自由」を感じるのかもしれません。

ですが、長い間ずっと、そんな状態に置かれていると、人はいつか、その糸を切りたくなるものではないでしょうか。自分を操る目に見えない糸、それが何かは、人それぞれだと思います。

かつては受け入れることができていた糸も、今はもう、そうではないのかもしれません。

2024年、あなたはそれを切ってみる選択をする可能性があります。自分の意志で手足を動かすことの刺激は、多分、とても鮮やかなものだろうと思います。

*引用部
「サム・ハリスは著書『自由意志』の中で、彼なりの軽蔑的な両立論の定義を提案している「操り人形は、自分の操り糸を愛する限り自由である」というのだ。」
(ダニエル・C・デネット、グレッグ・D・カルーゾー著 木島泰三訳『自由意志対話 自由・責任・報い』青土社)


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